衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2021年03月03日    水曜日     第2 回の開示 合計3149回の開示

我見を断つことが三悪道に堕ちない原理

我見を断じて初果を証得した者は、再び三悪道に堕ちることはありません。なぜでしょうか。その心が変化したからです。心が三悪道の業と相応しなくなり、三悪道の業行を造らなくなるため、再び三悪道で苦しむことがないのです。無我を証得した心は空じられ、空じられた心はもはや三悪道の業行を造ることはできません。三悪道の業行とは何でしょうか。五戒に違犯する業行、十善業に違反する業行です。五戒を受持して初めて人間の身を得、三悪道衆生の身を得ず、十善を受持して初めて人間・天人の身を得、三悪道衆生の身を得ません。我見を断じた証果者の心行は必ず五戒十善と相応し、それによって三悪道の業と身を免れるのです。

ではこの我見を断じた心、五戒十善と相応する心、三悪道の業と相応しない心とは、どのような心でしょうか。意識はもちろんそのような心ですが、最も主要な意根が絶対的にそのような心であるべきです。しかも意根は無間断の心であり、我見を断じた後、意根は無間断にヴィパッサナー(観)とシャマタ(止)の双運道の功徳を具えます。睡眠中、昏迷中、死亡時、中有のいかなる時も、我見を断じた功徳が身に具わり、この功徳によって受生し、託胎し、入胎します。そうすると意根がどのような心行を持ち、どのような業を有するかによって、相応する胎身が現れます。三悪道に堕ちないためには、意根が我見を断じ、諸功徳を具える必要があります。意識における聞法の智慧、推理の智慧、臆測の智慧、情思意解の智慧だけでは、粗重な煩悩の現行を断除することは絶対に保証できず、三悪道の業行を造らぬこと、五戒十善に違犯せぬこと、命終時に三悪道に堕ちぬことを保証することはできません。


——生如法師の開示
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