三解脱門とは何か
一切の諸法は皆空寂である。これを空解脱門という。空にも空という相はなく、空の法そのものに空の相はない。ただの名称概念であって相を持たない。空には空の相貌がなく、一切の相が存在しない。これを無相解脱門という。もし一切の相がなくなれば、我々に何の希求があり得ようか。何の願望や願求があり得ようか。一切の法が空であるなら、なお何を望むことがあろうか。願求するものがなくなれば、これを無願解脱門という。この三つの法が空と共に行じられるとき、心は解脱する。これを三解脱門という。空・無相・無願──この願とは希求であり願果であり、発する誓願である。一切が存在しないが故に、何を把捉しても空である。仏に成ることさえも空である。『金剛経』に説かれるように、成仏の果位は得られない。もし成仏の果位さえ得られないなら、なお何を得ようとするのか。我々が何かを得たと感じても、仔細に分析検証すれば、何も得ていないことがわかる。得る人すら存在せず、まして得る法などあるはずがない。
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