問:六入に随わず、刹那の間に見聞覚知を超越することは、無始の無明を打破したことになるのでしょうか。
答:大乗の菩薩が悟りを証した後、禅定に般若唯識の智慧を加えた三昧を得て初めて無始の無明を打破できます。六入に随わない状態には二つの境地があります。一つは六入を遮断する禅定のみの三昧境地、もう一つは六入を真実と認めず、心が六入に動転しない禅定と智慧を兼ねた三昧境地です。前者の三昧は持続が難しく消えやすいものですが、後者の三昧は一旦証得すれば智慧は永劫に残ります。
見聞覚知を超越したと言えるのは、必ず甚深なる禅定の境地に依拠していなければならず、そうでなければ依然として見聞覚知の中にあります。第四禅以上には見聞はありませんが微細な覚知は残っており、無想定には六識の見聞覚知がなく、滅尽定には六識の見聞覚知がありません。これらの禅定の中で、滅尽定のみが禅定に解脱の智慧を加えた真実の三昧境地です。大乗の修行においては、第四地以上の菩薩が唯識の種智を証得した甚深なる三昧において、深甚なる禅定中に見聞覚知を超越し、定に入らなくても見聞覚知を保持しつつ、ただ見聞覚知の法に対して心が動じない境地に至るのです。
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