一切の諸法はことごとく空寂なり
諸根とは眼・耳・鼻・舌・身・意の六根を包括する。この六根は幻化の如く、如来蔵より幻化されたものであり、これを如幻と称す。境界は夢の如し。境界とは、目に見える色の境界、耳に聞こえる声の境界、鼻が嗅ぐ香臭の境界、舌が味わう甘酸辛苦の境界、身体が感じる疲労・軽安・柔軟・快適・飢餓・飽満等の境界、意根が対する法塵の境界を指す。これらの境界は一見存在するように見えるが、その存在は仮の有り様、幻の有り様に過ぎず、真実のものではない。あたかも夢中の境界の如し。
仏は遍く我々に一つの真理を開示されている:一切の諸法はことごとく空寂なり。これは全ての法が空であり寂静であることを意味する。なぜそう言われるのか。一切の法は様々な因縁の和合によって存在するもので、本来自体性を持たず、真実に存在する法ではないが故に空寂と説かれる。別の角度から言えば、全ての法は阿頼耶識によって幻化されたものであり、阿頼耶識によって主導され、阿頼耶識の影に過ぎない。その実質は阿頼耶識そのものであり、一切の法は存在しない。故に一切の法はことごとく空寂なりと説かれる。小乗の空、大乗の空性、これら全てがこの真理真実を指し示しているのである。
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