(三十三)原文:問う。幾つの智をもって縁起を知るべきか。答える。二つ。すなわち法住智及び真実智なり。いかにして法住智によるか。仏の施設開示のごとく、倒れることなくして知るをいう。いかにして真実智によるか。学んで跡を見るがごとく、甚深の義を観ずるをいう。
釈:問う。いかなる智慧をもって縁起の義を知るべきか。答える。二種の智慧をもってすべきなり。すなわち法住智と真実智なり。いかに法住智をもって縁起の義を知るか。例えば仏が施設し開示された十二因縁法のごとく、倒れることなく全てを了知し、因縁法を如実に知る智慧を具えるなり。いかに真実智をもって縁起の義を知るか。例えば十二因縁法を修学した後、聖道の跡を見、因縁観を証得し、法眼浄を得て、甚深なる縁起法の義理を観察し得るなり。
原文:問う。世尊の言うごとく、これら諸縁起は我の作ったものにあらず、また他の作ったものにもあらず。所以はいかに。仏の出世あるも、出世せざるも、法性に安住し、法住法界なり。いかにが法性か。いかにが法住か。いかにが法界か。答える。これら諸縁起は無始時より理成就の性あり。これを法性と名づく。成就の性のごとく、倒れることなく文句をもって安立するを法住と名づく。この法住により、彼の法性を因として、故に彼を法界と説くなり。
釈:問う。世尊の説かれたごとく、これら全ての縁起法は私が作ったものでも、他の者が作ったものでもない。なぜか。仏が世に出ようと出まいと、縁起法は常に法性に安住し、法界に存する恒常の理法なり。法性とは何か。法界とは何か。答える。法性とは全ての縁起法が無始以来、縁起の理が成就した本性なり。理の成就した性を指す。この理の成就性を倒れることなく文句で確立したものを法住という。この法住を以て、諸法の理を因とする故、これを法界と称するなり。
原文:問う。経に言うごとく、生が無きならば、処なく位なくして生は有り得べし。もし一切種の生が存在せざるならば、生縁老死は得べからず。何故にここで彼の自性が自性を縁とすると説くか。答える。自種子の果生に依って説くが故なり。すなわち識乃至受支は生の種子たるを以て、義を説いて生と為す。これ有るが故に、後時この果支を有縁生と名づく。かくのごとく余支も、経の説くところに随い、その応ずるところを尽く知るべし。
釈:問う。経典に説かれるごとく、生支が存在しなければ、五蘊の処なく位なき状態となる。しかるに生は存在する。もし一切の種子たる生が無ければ、生を縁とする老死は成立せざるべきなり。生処とは生命が生じる環境(三界九地)を指し、生位とは胎児位・嬰児位などの成長段階をいう。何故ここに生の自性が自性を縁とすると説くか。答える。生命自体の種子が顕現した果を以て生と説くが故なり。識支・名色支・六入支・触支・受支は生の種子たるを以て、この義を明らかにする為に生と説く。これらの支分が存在する故、後世にこれらの果支(有縁生)が生ずる。同様に、有・取・愛・受・触・六入・名色・識・行・無明等の余支も、経文の説くところに従い、相応する法に即して理解すべし。
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