衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2021年02月19日    金曜日     第2 回の開示 合計3113回の開示

父子合集経講義(第128講)

なぜ一切の法には来処も去処もないのか

原文:大王。あらゆる法に少しも、この世から他世へ至るものはない。なぜか。自性が生滅するが故である。大王よ。身識が生じる時、来処なく、滅する時も去処なし。その業が生じる時、来処なく、滅する時も去処なし。初識が生じる時、来処なく、滅する時も去処なし。なぜならば、自性が離れているからである。このように了知せよ。身識は身識として空、自業は自業として空、初識は初識として空。滅するものは滅として空、生じるものは生として空。業の転変を了知し、作る者もなく、受ける者もない。ただ名相のみが分別によって顕現する。

釈:仏は説かれた。大王よ、いかなる法もこの世から来世へ流転することはない。なぜか。一切の法の自性は生滅を続け、常住不変ではないからである。臨終に五陰が滅する時、一切の法は滅する。大王よ、身識が生起する時は来処なく、滅する時は去処がない。業を造作する時も来処なく、滅する時も去処がない。来世の初識が生起する時も来処なく、滅する時も去処がない。

なぜ一切の法に来処も去処もないのか。一切の法はあらゆる性を離れ、一切の法の自性にはいかなる相もなく、自体が空で把捉し得ないからである。このように身識を了知すべきである。身識の自性が空であることを了知し、このように自らの識心が造作する業行を了知し、業行の自性が空であることを了知し、このように初識を了知し、初識の自性が空であることを了知すべきである。このように了知せよ。一切の法が生じればその生は空であり、滅すればその滅も空である。同時に業行の造作と流転には作者もなく受者もないことを了知せよ。一切の法はただ仮相と名相による分別と顕現に過ぎない。

一切の法はあらゆる法性を離れ、一法として真実の自体性を持つものはなく、独存し得ない。このように知る時、我々の身識が空であり、業行も空であり、来世に生じる初識も空であることがわかる。識が滅すれば滅法も空であり、識が生じれば生法も空である。業行の流転と造作も空であり、造作する者もなく、果報を受ける者もない。これらは全て仮相であり、不実な幻化相に過ぎず、ただ名相によって分別され顕現する虚妄相なのである。

——生如法師の開示
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