問:何故に尊き五蘊と卑しき五蘊は共に仮の相であると言うのですか。また何故に般若心経において諸法は皆空相で不生不滅であると説くのでしょうか。
答:例えて言えば、子供が積み木で家屋を組み立てては解体し、再び組み立てては解体することを繰り返すようなものです。家屋は無から有となり、また有から無へと転じ、生じては滅び、滅んでは生じます。故に家屋は幻影であり、仮の相であり、空相であると言われるのです。しかし積み木自体は常に存在し、壊れることはありません。積み木が存在し続ける限り、子供が飽きずに組み立てることで、家屋は絶えず現出し存在し続けます。故に家屋は常に存在する空相であり、不生不滅であると言えるのです。
同様に、五蘊は七大種子によって構成されています。因縁が具足する時、七大種子は五蘊を構築しますが、因縁が散ずれば五蘊も消散し、元の七大種子の状態に戻ります。再び因縁が具足すれば、七大種子は再び五蘊を構築します。このように五蘊は因縁業力に従って絶えず生滅を繰り返します。七大種子が福ある業種と因縁によって構築した尊き五蘊であれ、福なき業種と因縁によって構築した卑しき五蘊であれ、皆仮の相であり幻化の相、空相に他なりません。
五蘊が滅び去っても七大種子は残存します。やがて因縁が再び具足すれば、七大種子は再び五蘊を構築します。この繰り返しによって五蘊は永遠に生起し、絶えることなく存在し続けるのです。この観点から見れば、空相たる五蘊は即ち不生不滅であり、衆生は永遠に輪廻を続けることになります。七大種子があり業種があり因縁がある限り、五蘊を如何にすることもできません。
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