(三十)原文:問。一切の生処において、及び三摩鉢底中において、皆一切の支が現行し得るか。答。得られない。無想天において、及び滅尽定、無想定においては、色支は得られるが、無色支は得られない。もし無色界に生ずれば、無色支は得られるが、有色支は得られない。
釈:問:三界における一切の生まれ処、及び三摩鉢底の禅定において、十二支は全て現行し、現前に得られるか。答:全てが現前し得るわけではない。例えば無想天において、及び滅尽定においては、識支が得られず、触・受・想・愛・取が得られない。無想定においては色身の支分が得られるが、色支がないわけではない。無色界に生じた場合には色支が得られず、ただ意根と法塵の触があって色根の触はない。
原文:問。まことに支に依って支を離れることがあるか。答。ある。上地支に依って下地支を離れるが、これは一分に過ぎず全体ではなく、ただ暫時的なもので究竟的ではない。
釈:問:本当にある支に依って他の支を離れることがあるのか。答:ある。即ち上地の支分に依って下地の支分を離れる。例えば無色界の支分に依って色界の支分を離れ、色界の支分に依って欲界の支分を離れる。あるいは色界のより高位の支分に依って色界の低位の支分を離れ、欲界天のより高位の支分に依って欲界の低位の支分を離れる。これは一方向のみを指し、全てがこのように支分を離れるわけではない。
原文:問。幾つの支が染汚か。幾つが不染汚か。答。三支が染汚で、他は二種に通ず。不染汚の場合は善及び無覆無記に別れる故、二種に分かれることを知るべきである。問。幾つの支が欲界に繋がれるか。答。一切の支が和合等起する故に。問。幾つの支が色界に繋がれるか。答。一切の支に一分ずつある。
釈:問:十二支のうち幾つが染汚で、幾つが不染汚か。答:三支が染汚で、残りは染汚と不染汚の両方に通じる。不染汚の支分は善性と無覆無記に分類され、この二種に属する。問:欲界に繋がれる支は幾つか。答:全ての十二支が欲界に繋がれ、和合して欲界に現れる。問:色界に繋がれる支は幾つか。答:十二支の各々に一分ずつ色界に繋がれる部分がある。
原文:問。如何にして老の存在を知るべきか。答。それらの行に朽ち崩れる性質がある故である。色界に繋がれる法がそうであるように、無色界に繋がれる法も同様であることを知るべきである。問。幾つの支が有学か。答。無い。問。幾つの支が無学か。答。これも無い。問。幾つの支が非学非無学か。答。全てである。
釈:如何にして老支の存在を知るか。答:一切の行に腐朽・壊敗・破滅の性質がある故に老支が存在すると説かれる。色界に繋がれる法がこのようであるなら、無色界に繋がれる法も同様に腐朽・壊敗・破滅する。問:有学に属する支は幾つか。答:有学処に属する支分は無い。問:無学処に属する支分は幾つか。答:無学処に属する支分も無い。問:非有学非無学に属する支分は幾つか。答:十二支全てが非有学非無学に属する支分である。
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