衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
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日常開示

2021年02月17日    水曜日     第1 回の開示 合計3105回の開示

瑜伽師地論 第十巻(十二因縁)

(三十)原文:問。一切の生処において、及び三摩鉢底の中に、皆一切の支が具わり、現行し得るか。答。得られない。謂わく、無想天中において、及び滅尽定、無想定の中には、有色支は得られるも、無色支は得られない。若し無色界に生ずれば、無色支は得られるも、有色支は得られない。

釈:問う。三界における一切の生じ得る処、及び三摩鉢底の禅定において、十二支は全て現行し、現前に得られるか。答える。全て現前し得るものではない。例えば無想天中において、及び滅尽定中には識支を得ず、触・受・想・愛・取を得ない。無想定中には色身の支分は得られるが、無色支ではない。もし無色界に生じれば色支は得られず、ただ意根と法塵の触があって、色根の触はない。

原文:問。頗る支に依って支を離れ得るか。答。有り。謂わく、上地の支に依って下地の支を離る。此れは但だ一分にして全からず、唯暫時にして究竟ならず。

釈:問う。本当に一つの支分に依って他の支分を離れ得るか。答える。有る。即ち上地の支分に依って下地の支分を離れる。例えば無色界の支分に依って色界の支分を離れ、色界の支分に依って欲界の支分を離れる。或いは色界のより高い支分に依って色界の低い支分を離れ、欲界天のより高い支分に依って欲界の低い支分を離れる。これは一方向のみを指し、全てこのように支分を離れるのではない。

原文:問。幾つの支は染汚か。幾つの支は不染汚か。答。三つは染汚。其余は二種に通ず。若し不染汚ならば、善及び無覆無記の別故に、二種に分かるべきことを知るべし。問。幾つの支は欲界に繋がるか。答。一切の支、和合等起する故に。問。幾つの支は色界に繋がるか。答。一切の支に一分ずつ。

釈:問う。十二支の中に染汚のものは幾つか。答える。三支は染汚で、其余は染汚と不染汚の両方に通ず。不染汚の支分は善性と無覆無記に別れ、この二種に属する。問う。幾つの支が欲界に繋がるか。答える。全ての十二支は欲界に繋がり、和合して欲界に現れる。問う。幾つの支が色界に繋がるか。答える。十二支の各々に一分ずつ色界に繋がる。

原文:問。如何にして彼に老有ることを知るべきか。答。彼の諸行に朽ち壊れる性質有るが故に。色界に繋がるものの如く、無色界に繋がるものもまた然るべきことを知るべし。問。幾つの支は学処か。答。無し。問。幾つの支は無学処か。答。亦無し。問。幾つの支は非学非無学か。答。一切。

釈:如何にして老支の存在を知るか。答える。一切の行には腐朽・壊れる性質がある故に老支が存在する。色界に繋がる法が然る如く、無色界の法もまた朽ち壊れる。問う。幾つの支が有学処に属するか。答える。無し。問う。幾つの支が無学処に属するか。答える。無し。問う。幾つの支が非学非無学に属するか。答える。十二支全てが非学非無学に属する。

——生如法師の開示
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