衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2021年02月16日    火曜日     第3開示 合計3104開示

父子合集経講記(一二五)

愚痴とは何か

愚痴とは何でしょうか。分からないことを愚痴と言います。愚痴は無明とも言い、無明は分からないこととも言います。一切法の来龍去脈が分からないこと、一切法の真相が分からないこと、五蘊とは何か、また五蘊の実質が分からないこと、十八界とその実質が分からないこと、いかにして小乗の五蘊無我を証するかが分からないこと、声聞縁覚の十二因縁法が分からないこと、大乗の如来蔵法が分からないこと、いかにして開悟するかが分からないこと、いかにして如来蔵の種子の功徳を了知するかが分からないこと、いかにして修行して自らを広く衆生に利益させるかが分からないこと、いかにして修行して成仏するか、これらの法が分からないこと、これが無明であり、愚痴に属します。無明と愚痴そのものについても分からないことも含めて、同じく愚痴であり無明なのです。

衆生が如来蔵の中に存在させる無明は無量無辺にも及びます。これらの無明をすべて破り尽くして、初めて成仏します。無明は三種に分けられます。第一種は一念無明で、三界世間への貪愛、五陰身への執著であり、これを断り尽くせば四果を証して無余涅槃に入ります。第二種は無始無明で、無始劫以来、衆生は真実心たる如来蔵が存在し、それが生生世世の五陰身と三界世間法を生じさせること、それが衆生の真の不生不滅の我であることを知りません。第三種は塵沙無明で、無始無明の中に帰することもできます。その意味は、成仏の道の上で明らかでない理が塵や砂のように多いということです。成仏の前にすべて断除しなければなりません。修行上の煩悩とも言い、この種の煩悩を一つ断除すれば、無明は一つ減り、成仏に一歩近づくのです。

——生如法師の開示
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