愚痴とは何か
愚痴とは何か。理解していないことを愚痴という。愚痴は無明とも呼ばれ、無明とはつまり理解していないことである。一切の法の成り立ちを理解せず、一切の法の真実相を理解せず、五蘊及びその本質を理解せず、十八界及びその実体を理解せず、小乗の五蘊無我を証得する方法を理解せず、声聞縁覚の十二因縁法を理解せず、大乗の如来蔵法を理解せず、悟りを開く方法を理解せず、如来蔵の種子功徳を知る方法を理解せず、自ら修行して広く衆生を利する方法を理解せず、仏陀となるための修行法を理解していないこと、これが無明であり、愚痴に属する。無明と愚痴そのものをも理解していないことも、同様に愚痴と無明である。
衆生の如来蔵に存在する無明は無量無辺である。これらの無明をすべて破り尽くせば仏陀となる。無明は三種に分かれる。第一は一念無明であり、三界世間への貪愛、五陰身への執着を指す。これを断じ尽くせば四果を証得し無余涅槃に入る。第二は無始無明であり、無始劫より衆生が真実心である如来蔵の存在を知らず、生生世世の五陰身と三界世間法を生み出す不生不滅の真我であることを知らない状態を指す。第三は塵沙無明であり、無始無明に帰することもできる。成仏の途上で理解できない理が塵沙のように多く、成仏前にすべて断じなければならない。これは修行上の煩悩とも呼ばれ、この煩悩を一点断ずれば無明が減じ、成仏に近づくのである。
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