問:瞑想修行中、常に気の動きによって深い禅定に入ることができないのですが、気を観行することで突破し身見を断つことは可能でしょうか。
答:体内の様々な気は物質的な色法です。気の生住異滅を観じ、苦・空・無常・無我を悟ったとしても、色蘊における我見を断つだけで、識心の我見はまだ断じ切れません。ただし体内の気を明晰に観行できれば十分に善く、点から面へと全身の色法を観じ通し、その来歴を知り、生滅変異の無常を証得するなら、色身の我見を断つだけでも大変結構です。煩悩が軽減された後、識心の苦集滅道を観行すればより容易になるでしょう。
どのように気を観行して身見を断つのでしょうか。諺に「一息続かねば気絶して身を滅ぼし、陰陽分かれる」とある通り、気は色身にとって命綱です。気は体内で酸素を運び、血液循環を促し、気血相まって色身維持の養分となります。気血の潤いが失われれば色身は必ず滅びます。気は四大種子で構成された色法で、特に風大を主とします。故に気は流動性と遍在性を具え、全身を巡ります。一旦どこかで滞れば病障を生じます。四大で構成された色法たる気は、即ち生滅変異する無常法です。気の無常性・変異性・空性を観じれば、即ち苦性を知り、苦性は即ち我にも我所にも非ず。気が我でないなら、気に支えられる色身も同様に生滅変異し無常で、苦・空・無我です。気という視点から観行しても、身見を断つことが可能です。
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