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日常法話

2021年02月14日    日曜日     第2開示 合計3095開示

意根と五蘊の関係

意根は五蘊から独立しているようでいて独立しておらず、五蘊と和合しているようでいて和合しておらず、五蘊から離脱できるようでいて離脱していない。なぜこのようであるのか。 意根が五蘊から独立していないのは、意根の持つすべての思(し)、すべての想法と意志は、必ず五蘊を通して実現され完成されなければならず、また五蘊の運作は、逆に意根の思を強め、啓発するので、五蘊は意根を中心としてぐるぐると回り、意根もまた五蘊を中心としてぐるぐると回り、互いに絡み合って、分離できないからである。 

意根が完全に五蘊から独立できるのは、次の理由による。一つには、最初に世界がまだ建立されていない時期には、五蘊はなく、第八識と意根だけが存在していた。二つには、正死位においては、五蘊は去ってしまい、第八識と意根だけが存在している。三つには、受精卵位において、五蘊がまだ生起していない時には、第八識と意根だけが存在している。四つには、滅尽定の中では、五蘊のうちごく微弱な色蘊だけが存在しており、第八識と意根も存在している。五つには、昏倒している時やその他の時期には、五蘊のうちごく微弱な色蘊と識蘊だけが存在しており、第八識と意根は影響を受けずに存在している。六つには、阿羅漢が無余涅槃 (Anupadhiśeṣa-nirvāṇa) から出たばかりの時には、第八識と意根だけが存在しており、五蘊はまだ出現していない。それゆえ、意根は完全に五蘊から独立できるが、第八識からは独立できないのである。

五蘊が絶えず運行する過程において、意根と五蘊には独立の面もある。意根が五蘊を神様自身と見なしたり、あるいは五蘊を神様の所有物と見なしたり、自分の想法と意志を実現するための道具と見なしたりするなら、そこにはすでに五蘊から独立しているという意味が含まれている。 

五蘊には第八識の属性がある。なぜなら、五蘊は第八識が七大の種子によって変化して現出したものであり、至る所に第八識の情報が示されているのであり、実は五蘊の全体がことごとく第八識なのである。しかし、五蘊に意根の属性があると言うなら、それは五蘊が意根の習気と合致しており、意根の無明の結果だからである。

——生如法師の開示
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