「行」とは運行・運動・変化・連続を意味し、停止不変を指すものではありません。八つの識には全て「行」が存在し、運行の相を持って諸法を絶え間なく運行させ、自らの念々は連続し、心々は留まりません。識の種子が生滅相続するからこそ諸法が顕現し、運行が持続し、五蘊世間は多様で彩り豊かなものとなります。万物の生滅変化は全て八識が運行した結果であり、五陰身の生滅変異は特に八識の行の所産です。もし前七識が運行を停止すれば、生命は即ち終息し無余涅槃に入ります。しかし第八識自体は永遠に滅びず、自らが持つ識の種子によって運行を維持し、五遍行心所法は引き続き絶え間なく運行し続けます。
七識の行は誰が制御管理するのでしょうか。六識の行は第七識である意根が決定し主宰し、意根の行は無明と願力によって支配されます。意根の行は複数の要素によって決定されます。一つは如来蔵中の業種子、二つ目は意根自体の煩悩の慣性勢力、三つ目は環境的薫染作用です。しかしこれらの要素は全て意根の無明によって生じるもので、意根に無明が存在しなければ薫染を受けず、煩悩や慣性も生じず、煩悩業の種子も残しません。
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