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日常開示

2021年01月31日    日曜日     第2 回の開示 合計3049回の開示

瑜伽師地論 第十巻(十二因縁)

(十八)原文:また、有支の建立には二種ある。一は勝分に就いて建立する。即ち取に摂受されたる業を謂う。前に説きたる如し。二は全分を建立する。即ち業及び識、乃至受の所有の種子なり。取に摂受せられ、有として建立することを知るべし。

釈:有支を建立するには二種の観点がある。第一に勝れたる側面より三界の有を建立する。これは取に摂受された業の作用であり、先に述べた如く取が有の三縁となるものである。第二に全面的に三界の有を建立する。業行・六識・名色・六入・触・受の全ての種子を含み、これらは全て取に摂受され、後世の有を生じる。

六道輪廻は取の果報であり、三界の有の最も勝れた支分の顕現である。これが勝分より有を建立する意味である。一切の業行は種子を残し、六識の造作・名色の生住異滅・六入処の運行・触・受にも種子あり、これらの種子が後世の有を生起せしめる。これらの種子も有の範疇に属し、有あるが故にこれらの支分が生じ、これら支分もまた有の範疇に属す。これが全分的に有を建立する意義である。

原文:問う。これらの有支は唯次第的に行を縁として老死に至るのみか、更に余の業用あるや。答う。即ちこの業用及び各別の所行境において、其の応じる所に随って所有の業用あるを知るべし。これを第二の業用と名づく。

釈:問う。有支は単に順次に行支を縁とし老死に至るのみか、他に業用はあるか。答えるに、行より老死を縁とする業用の他、各々の所行の境において相応する業用がある。これら全てを第二の業用と呼ぶ。第一の業用は「生」であり、生じた後に三界の有において行・識・名色より老死に至る業用が生起する。

原文:問う。無明は唯行を縁とするのみか、亦余の支を縁とするや。答う。無明は乃至老死をも縁とす。前に唯行を縁とすると言えるは、但だ近縁の義を説く。此の如く其の余も尽く知るべし。

釈:無明は単に行支のみならず、識・名色・六入・触・受・愛・取・有・生・老死の十一支全てを縁とする。先に無明が行を縁とすると述べたのは近縁の関係を説いたもので、六識の運行は無明を縁として雑染業を造り、名色は無明を縁として雑染果を生じ、六入は無明を縁として雑染の触を生じ、触は無明を縁として雑染の受を生じ、受は無明を縁として雑染の愛を生じ、愛は無明を縁として雑染の執取を生じ、執取は無明を縁として不可愛の有を生じ、有は無明を縁として雑染の生を生じ、生は無明を縁として不可愛の老死を生ず。

原文:また、後の支は前の支の縁に非ず。何を以って故か。後の支を断ぜんが為に勤めて功用し、前の支を断ずれば、前の断ずるに由りて後も随って断ず。前を断ぜんが為に勤めて後を断ずるに非ざるが故に、是の故に唯これ彼の縁なることを知るべし。

釈:十二支において後支は前支の縁ではない。何故なら、後支を断じるには前支を断ずべく精進する故、前支が断たれれば後支も自然に断たれる。前支を断つために後支を断つものではない。故に前支のみが後支の縁であり、後支が前支の縁ではないことを知るべきである。

——生如法師の開示
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