衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年10月05日    金曜日     第2開示 合計878開示

証とは何か

多くの人々が日々実証について語りますが、何をもって「実」というのでしょうか。実とは現実のことであり、これは意根の現量境界を指します。意根がどの境界に至るかによって、修行の境地も定まります。意識の境界は虚妄であり、瞬く間に消え去る空華の如く、地に着くことがありません。意根は主導識として六識の身口意行を統率します。意識による理解は実証ではなく、なぜなら意識は身口意行を主導できないからです。

実証は意根による悟りを必要とします。意根が悟るためには禅定が不可欠です。禅定が不足すれば、意根は意識が提供する資料を深く微細に思惟分別することができず、意識の思考内容を勝解することができないため、悟りを得られず、単に意識のみの理解に留まります。故に禅定を離れて実証を語るべきではありません。意識が理解しつつ意根が悟らなければ、解脱の功徳を受用できず、まさに徳が位にふさわしくない状態となるのです。

——生如法師の開示
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