衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2021年01月27日    水曜日     第2 回の開示 合計3036回の開示

瑜伽師地論 第十巻(十二因縁)

(十四)原文:問。此の十二支。幾つかは煩悩道。幾つかは業道。幾つかは苦道。答。三は煩悩道。二は業道。余は苦道。問。幾つか唯だ因。幾つか唯だ果。幾つか因果に通ず。答。初めの一は唯だ因。後の一は唯だ果。余は因果に通ず。又即ち此の問に於いて更に余の答を作す。三は唯だ因。二は唯だ果。当に知るべし、余のものも亦た因亦た果なり。

釈:問:この十二支縁起法の中で、幾つの支が煩悩道に属しますか。幾つが業道に属しますか。幾つが苦道に属しますか。答:三支が煩悩道であり、二支が業道であり、残りは苦道です。煩悩道の支分には無明煩悩を含み、煩悩業を引き起こすことができます。無明・愛・取の三支分は煩悩道に属します。業道とは業果のある支分を指し、名色と有の二支分が業果です。苦道とは苦受のある支分を指し、行・識・六入・触・受・生・老死の七支分には苦受があります。

問:十二支の中で、幾つがただ因であり、幾つがただ果であり、幾つが因と果の両方に通じますか。答:最初の無明一支はただ因であり、最後の老死一支はただ果であり、中間の支分は因と果の両方に通じます。この問いには別の答え方もあり、三支がただ因(無明・愛・取)、二支がただ果(有・老死)、残りの七支分(行・識・名色・六入・触・受・生)は因と果の両方に通じます。

原文:問。幾つかは独相。幾つかは雑相。答。三は独相。行等は雑相。問。何の故に行有は雑相なるや。答。一つの説による故なり。謂わく、愛すべき愛すべからざる果を引き能う故。及び趣の差別を生ずる能う故なり。

釈:問:十二支の中で、幾つが独立した相であり、幾つが混じり合った相ですか。答:三支(有・生・老死)が独立した相であり、無明・行・識・名色・六入・触・受・愛・取などの支分は雑染の相です。所謂雑染とは、この支分が善悪無記性を含み、善悪無記の報いを引き起こすことを指します。問:どうして行などの支分にこのような雑染相があるのですか。答:一説によれば、行等の支分が愛すべき果と愛すべからざる果を引き起こすため、また六道の差別を生じさせるため、雑染相であると言われます。

原文:問。何の故に識と名色六処は、一分雑相有りや。答。三つの説による故なり。謂わく、雑染時に依る故。潤時に依る故。転時に依る故なり。問。何の故に識乃至受と老死は雑相有りや。答。二つの説による故なり。謂わく、別に苦相を顕す故。及び引生の差別を顕す故なり。

釈:問:なぜ六識と名色・六処には一部に雑染相があると言われるのですか。答:三つの説があります。第一に六識が善悪無記の雑染にある時、名色六処の支分に愛すべき・愛すべからざる雑染相が現れるため。第二に六識が潤沢に染められる時、名色六処の支分に雑染相が現れるため。第三に六識が転変する時、名色六処の支分に雑染相が現れるためです。

問:なぜ識・名色・六入・触・受の支分と老死支分に雑染相があるのですか。答:二つの説があります。第一に識・名色・六入・触・受などの支分がそれぞれ老死の苦相を明示するため。第二に識乃至受と老死支分が引き起こされる老死支分の差別を明示するため、識等の支分に雑染相があると言われます。

——生如法師の開示
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