(十四)原文:問。此の十二支。幾つかは煩悩道。幾つかは業道。幾つかは苦道。答。三は煩悩道。二は業道。余は苦道。問。幾つか唯だ因。幾つか唯だ果。幾つか因果に通ず。答。初の一は唯だ因。後の一は唯だ果。余は因果に通ず。又即ち此の問に於いて。更に余の答を作す。三は唯だ因。二は唯だ果。当に知るべし、余のものも亦た因亦た果なり。
釈:問:この十二支縁起法の中で、いくつの支が煩悩道に属するか。いくつが業道に属するか。いくつが苦道に属するか。答:三支が煩悩道であり、二支が業道であり、残りは苦道である。煩悩道の支分には無明の煩悩を含み、煩悩業を引き起こす。無明・愛・取の三支が煩悩道に属する。業道とは業果を有する支分を指し、名色と有の二支が業果である。苦道とは苦受を有する支分を指し、行・識・六入・触・受・生・老死の七支分に苦受がある。
問:十二支の中で、いくつが唯因か。いくつが唯果か。いくつが因果両方に通ずるか。答:最初の無明一支は唯因であり、最後の老死一支は唯果である。中間の支分は因果両方に通ずる。この問いには別の答え方がある。三支が唯因(無明・愛・取)、二支が唯果(有・老死)、残りの七支(行・識・名色・六入・触・受・生)は因果両方に通ずる。
原文:問。幾つかは独相。幾つかは雑相。答。三は独相。行等は雑相。問。何の故に行有は雑相なるや。答。一つの説に由る。謂わく、愛すべき・愛すべからざる果を能く引き、及び趣の差別を能く生ずるが故なり。
釈:問:十二支の中で独立した相がいくつあり、混在した相がいくつあるか。答:三支(有・生・老死)が独立相であり、無明・行・識・名色・六入・触・受・愛・取などの支分は雑染相である。雑染とはこの支分が善悪無記性を含み、善悪無記の報いを引き起こすことを指す。問:なぜ行などの支分にこのような雑染相があるのか。答:一説によれば、行などの支分が愛すべき果と愛すべからざる果を引き起こすため、また六道の差別を生じさせるため、雑染相であるという。
原文:問。何の故に識と名色六処は、一分雑相有りや。答。三種の説に由る。謂わく、雑染時に依るが故に。潤時に依るが故に。転時に依るが故に。問。何の故に識乃至受と老死に雑相有りや。答。二種の説に由る。謂わく、別に苦相を顕すが故に。及び引生の差別を顕すが故に。
釈:問:なぜ六識と名色・六処に一部の雑染相があるのか。答:三つの説がある。第一に六識が善悪無記の雑染を有する時、名色六処支分に愛すべき・愛すべからざる雑染相が現れる。第二に六識が潤沢に染まっている時、名色六処支分に愛憎の相が現れる。第三に六識が転変する時、名色六処支分に愛憎の相が現れる。問:なぜ識・名色・六入・触・受の支分と老死支分に雑染相があるのか。答:二説ある。第一に識名色六入触受などの支分が老死の苦相を分別顕示するため。第二に識乃至受と老死支分が引かれる老死支分の差別を顕示するため、識等の支分に雑染相があるという。
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