衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2021年01月21日    木曜日     第1 回の開示 合計3018回の開示

瑜伽師地論第十巻

(九)原文:問う。何故に諸支は相望んで、因縁無きや。答えます。因縁とは、自体の種子の縁によって顕現されたものだからである。問う。もし諸支が相望んで因縁無きならば、何故に因果の体性に依って縁起を建立すると説くや。答えます。増上縁に摂せられる所の、引發因・牽引因・生起因による故に、これを因と名付けて説くのである。 

釈:問:何故これらの支分には因縁が存在しないのか。答:因縁とは諸支分の自体種子の縁によって現れるものである(この意味は極めて深遠で、諸支分を生じる自体種子は全て阿頼耶識から来ており、阿頼耶識に存在する。換言すればこれらの支分は全て阿頼耶識によって生じたもので、阿頼耶識と自体種子がこれらの支分の因縁である)。問:これらの支分が相互に縁となって因縁が無いならば、何故因果の体性に依って縁起を建立すると説くのか(因果の体性とは前因が後果を生じることで、後果が即ち縁起の法である)。答:これらの支分は増上縁に摂受されたものであり、前支分は後支分にとって引發因・牽引因・生起因となる。これらの因は因縁生の因であって、直接生じる種の因ではなく、直接生じる因は阿頼耶識または自体種子識である。

原文:問う。幾つの支が引因に摂せられるか。答えます。無明より受に至るまで。問う。幾つの支が生因に摂せられるか。答えます。愛より有に至るまで。問う。幾つの支が生引二因果に摂せられるや。答えます。現法と後法において、識等より受に至るまで。生老死の位において摂せられる諸支である。

釈:問:十二支分の中で引因に摂受されるのは幾支か。答:無明縁行・行縁識・識縁名色・名色縁六入・六入縁触・触縁受、この六支が引因に摂受され、後の支分を引生する。問:生起因に摂受されるのは幾支か。答:受縁愛・愛縁取・取縁有、この四支が生起因に摂受される。問:生起因と引因の二因果に摂受されるのは幾支か。答:現前存在する後の法において、識縁名色・名色縁六入・六入縁触・触縁受、生位と老死位に摂受されるこれらの支分が、生起因と引因の二因果に摂受される。

無明は行を引生するが、行を出生することはできない。引とは導くことであり、助縁たる増上縁である。出生とは直接生じることで、無明には体も心も種子も無く、行を生じることはできず、ただ阿頼耶識が行を出生する際の引子となる。この引子が無ければ、阿頼耶識は行を出生できない。行は六識の引因であって、直接六識を生じる因ではない。行には自体性も種子も無いため、六識を生じることはできず、阿頼耶識が行を媒介として六識を出生する。六識は名色の因縁であって、直接名色を生じるのではなく、阿頼耶識が六識の縁を借りて名色を出生する。六識の造作が後世の名色を引生する。

名色は六入の引因であって、直接六入を生じるのではなく、阿頼耶識が名色を媒介として六入を出生する。この中で意入は元々存在するもので、阿頼耶識が新たに生じたものではない。六入は触の引因であり、触を引生するが、直接触を生じることはできない。六入には自体性も種子も無いため、触を生じることはできず、阿頼耶識が六入という引因を借りて触を出生する。触は受の引因であり、受を引生するが、直接受を生じることはできない。触には自体性も無く、また識心でも無く種子も無いため、阿頼耶識が触を媒介として受を出生する。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

父子合集経講記(一〇〇)

次の記事 次の記事

父子合集経講話(一〇一)

ページのトップへ戻る