衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2021年01月16日    土曜日     第3 回の開示 合計3006回の開示

父子合集経講話(九十六)

一切の法は生滅し虚妄である

原文:大王よ。少しの法も此の世より他世に至ることはない。何故ならば、自性が生滅するが故である。大王よ。身識が生ずる時、来る所なく、滅するに去る所なし。その業が生ずる時、来る所なく、滅するに去る所なし。初識が生ずる時、来る所なく、滅するに去る所なし。何故か。自性が離れているが故である。

このように了知すれば、身識は身識として空であり、自業は自業として空であり、初識は初識として空である。もし滅すればその滅も空であり、もし生ずればその生も空である。業の転変を了知し、造作者なく、また受ける者もない。ただ名相のみが分別によって顕現するのである。

釈:大王、この世から他世へ持ち越せるものは何一つありません。なぜそうなのか?一切の法は生滅するからです。大王、身識が生じる時、来たる所がなく、滅する時、去る所がありません。識心が造作する業行も、生じるに来たる所なく、去る所もありません。色身における最初の識心が生起する時も、来たる所がなく、滅する時も去る所がありません。なぜこれらの法には来去がないのか?これらの法の自性は一切の法を離れており、一切の法の真実性を持たないからです。

このようにして身識を了知し、身識の空を了知します。自らが造った業行と業行の空を了知し、初識と初識の空を了知します。もしこれらの法が滅すれば、その滅も空であり、生じればその生も空です。業力の流転を了知し、造作者なく、受報者もないことを悟ります。ただ様々な名相が分別によって顕れ示されているに過ぎないのです。

少しの法も此の世から他世に至ることはなく、何も持ち去られません。なぜか?これらの法の本性が生滅し空であり幻化しているからです。身識が生ずるに来たる所なく滅するに去る所ないように、善悪の業行、不善不悪の業行も、生じる前に来たる所なく、滅しても去る所がありません。一切の法に自体性がなく、本来一切の法性を具えず、一切の法を離れ、一切の法の真実性を持たないからです。

——生如法師の開示
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