福徳は仏法の修証における礎石でございます。もし福徳が不足しておりますと、禅定を修めることが向上いたしません。禅定がなかったり、禅定が不足している場合、法義を理解することは大変困難でございます。福徳が足りないと、一見容易に見える事柄でも、どうしても成し遂げられません。戒律を守ることは容易に思えるのに戒を保てず、ある教えは理解しやすいと感じるのに、どうしても深く観行に至れないのでございます。福徳がなければ、何事も思うようにならず、世間法における様々な事業も叶いません。禅定と福徳が具わった後は、あらゆる法において観行の智慧が生じやすく、空を証得させ、心が空無我無物となり解脱自在となるのでございます。修行とはまた、種々の見道の因縁を円満にする過程でござい、ただ因縁条件が具足して初めて見道を得て法眼浄く、空三昧を証得できるのでございます。
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