臨終の果報が現れる時の様相
無明に覆われた凡夫が不浄な色相を見ると、瞋恚心や嫌悪心が生じ、破壊しようとする心が起こります。そうして打つ・罵る・毀損するなどの悪業を造作し、身業では殺生・偸盗・邪淫を、口業では妄語・両舌・悪口・綺語を、意業では貪欲・瞋恚・愚痴という十悪業を形成します。これらの業は如何にして生じるのでしょうか。行為を造作する最初の刹那に既に滅び、行いが生じると同時に消滅します。打撃や罵詈の行為は生起すると即時に消滅し、生ずる所もなく滅する処もなく、全ては空であります。
十悪業は東西南北四維上下の何方にも駐留せず、存在する場所を持ちません。しかし造業が完了した後、命根が滅びようとする瞬間に業報が顕現し、種子が現れます。一生の業行は稲妻のように現れては消え、人生が夢幻の如きものであったと覚ります。まさに夢から覚める時の感覚と同じく、自らこの生涯が終焉を迎えること、死後の果報が如何なるものであるかを知るのです。しかし生きている間は誰もこれを夢幻と感じず、全てが真実であるかの如くに思うのであります。
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