衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2021年01月12日    火曜日     第2 回の開示 合計2992回の開示

父子合集経講話(八十九)

諸法の空を証得して初めて煩悩を断ずることができる

仏は「業の転変を知るに、作者なくまた受者もなし」と説かれました。業行の生起・作用・消滅は全て空であり、業を造る者もなく、業を受ける者もなく、報いを受ける者もありません。ひたすら空を観じ続ければ、聖者の果報を享受することができ、この者は既に凡夫ではなく、凡夫の心行は存在しません。貪瞋痴の煩悩は沸騰した湯が雪を溶かすように速やかに消融します。この境地に至れば、様々な煩悩に対治するために心血を注いだり精力を費やしたりする必要はなくなり、種々の対治法を用いて煩悩と戦う心の疲労から解放されます。多生多劫にわたる対治修行も根本問題を解決できません。一切の法を実体あるものと見做し、全てを「有」と認識している限り、どうして徹底的に対治し根本問題を解決できましょうか。現前に一切が空幻であると悟ったなら、もはや対治など必要あるでしょうか。全く必要ありません。

故に貪瞋痴の煩悩に追従しながら、それらに対治するという方法は、修行の道として余りに迂遠で曲折が多く遅効的であり、最も根本的な方法でもなければ最速の近道でもありません。我々は根本から着手すべきです。例えば大樹を除去しようとするなら、根元から着手し根を断ち切れば、樹全体が倒れ再び生じることはありません。修行とは枝葉を摘むようなものではなく、一枚一枚葉を摘んでいては、摘んでも生じ、摘んでも生じ、永遠に摘み切れません。対治による修行方法はまさに葉を摘むようなものであり、前述の観行の方法は全て根を断つ方法です。完全かつ徹底的に根本から断ち切れば、枝葉や幹は再び生長できず、もはや生じる術がなく滅び去ります。煩悩を断除するのも同様で、諸法の根源を直截し、諸法の空を証得すれば、万法に接する時再び煩悩を生起することはありません。

——生如法師の開示
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