(三)原文:無明触より生ずる受に於いて、相応する心中の全ての貪愛が、即ち此の心に於いて繋縛を離るるが故に、貪愛は永く滅ぶ。現法に於いて、心解脱を証す。仮に彼の無明が永断せざるならば、識等を依りて受を以て最も後となす所の諸行は、後際に生ずべし。無明の滅するが故に、更に再び起こらず、無生法を得る。是の故に無明滅すれば行滅すと言う。次第に乃至、異熟生の触滅するが故に異熟生の受滅す。現法に於いて、無明滅するが故に無明触滅し、無明触滅するが故に無明触より生ずる受滅し、無明触より生ずる受滅するが故に愛滅す。愛滅するが故に先述の如く無生法を得る。此れを以て取等の悩みを最も後として、諸行は永く滅す。
釈:無明触後に生じた受に対し、受と相応する心中に生起する全ての貪愛が、この相応する心において貪愛の繋縛から離れるならば、貪愛は永遠に断滅し、現世の法において心解脱を証得する。もし無明が永断されないならば、識を依りどころとする受を最後として、受およびそれ以前の触・六入・名色等の諸行は後世に再生すべきである。無明が滅した故に、これらの諸行は再び生起せず、無生法を証得する。従って無明が滅すれば行が滅し、行滅すれば識が滅し、識滅すれば異熟生の名色が滅し、異熟生の名色滅すれば異熟生の六入が滅し、異熟生の六入滅すれば異熟生の触が滅し、異熟生の触滅すれば異熟生の受が滅す。現世の法において無明が滅した故に無明の触が滅し、無明触滅した故に無明触から生じた受が滅し、無明触から生じた受滅した故に愛が滅し、愛滅した故に先述の如く無生法を証得する。従って取等の煩悩が生死輪廻の最後において、諸法に執取せざる時、一切の行は永く滅すと言われる。
原文:かくの如く現法に於いて、諸行は転じず。転ぜざるが故に、現法に於いて有余依の界に、現法涅槃を証得す。彼の時に於いては、唯だ清浄なる識が名色を縁とし、名色が識を縁とす。乃至識身の存する限り、恒に繋縛を離れたる受を受け、繋がれたる受を受けず。此の識身は先業の引く寿量に至るまで、恒に相続して住す。若し寿量尽きなば、識の持つ身を捨てん。此の命根の後、所有の命根は余すところなく永滅し、再び熟することなし。復た此の識と一切の受は任運に滅するが故に、残りの因縁は先に已に滅したるが故に、再び相続せず、永く余すところなく滅す。是れを名づけて無余依涅槃界究竟寂静の処と為し、亦た涅槃を求むる者の世尊の許に於いて梵行已に立ち、究竟涅槃せりと曰う。
釈:一切の行が滅した後、現世の法において諸行は転動せず、転動せざるが故に、現世の法に余苦の依るべき世界が存在する中で、現法涅槃、即ち有余依涅槃を証得する。この時、唯だ清浄なる阿頼耶識が名色を縁じ、名色が清浄なる阿頼耶識を縁ずる。六識身の存する限り、永遠に繋縛を離れた受覚を領納し、繋がれた法の受を受けない。この六識身は前世の業が引いた寿命に従い、長く相続して住し続ける。寿命が尽きれば、六識の持つ色身を捨てる。この色身の後の来世の全ての色身は永遠に滅尽し、再び現れず、新たに生長することもない。この六識と一切の受は因縁の滅に随って任運に滅し、残りの因縁である愛・取・有等は既に滅した故に、再び相続せず、永遠に余すところなく滅尽する。これを無余依涅槃界の究竟寂静の処と称し、涅槃を求める聖者が仏法に於いて清浄な梵行を建立し、究竟涅槃したと説かれる。
0
+1