衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年12月19日    土曜日     第2 回の開示 合計2922回の開示

本事経第四巻

原文:我は世尊より、このような教えを聞きました。比丘たちよ、知るべきである。一切の世間における悪しき不善の法は、すべて無明を先導とし、成長する。無慚無愧を後ろ盾とし、減じることがない。なぜなら、諸趣における生・老・病・死・愁い・嘆き・憂い・苦しみ・熱悩などの法は、すべて無明を根として成長し、成長した後、これに依って再び一切の悪しき不善の法を生じさせるからである。悪法が生じた後、無慚無愧の故に、全く悔い改めることがない。悔い改めない故に、減じることがないのである。 

釈:私は世尊よりこのような説法を聞きました。比丘たちよ、あなたがたは知るべきです。一切の世間における悪しき不善法は、すべて無明を現行の先導として成長し、無慚無愧の悪心所法を後続の助縁として、悪不善法が減じられないようにするのです。なぜこう言うのでしょうか。六道の衆生が有する生老病死憂悲苦悩などの因縁法は、すべて無明を根として成長し、成長した後、無明に依って再び一切の悪しき不善法を生起させるのです。悪法が生起した後、心に慚愧が無いため、悔い改めようとする心が起こらず、悪法は減じることがありません。 

一切の法の先導となる無明は、もちろん意根の無明であり、無慚無愧の悪心所法もまた意根の煩悩心所法です。もし意根が慚愧と悔いの心所法を生じ、慚愧から悪法が生じるならば、悪法は減少し消滅します。故に一切の悪法の責任は意根にあり、意根の無明と染汚煩悩にあるのです。もし意根が万法の主宰識でないならば、修行は意根を顧みる必要がなく、主宰するものを顧みれば問題が解決するはずです。 

原文:一切の世間における善き清浄の法は、すべて慧明を先導とし、成長する。慚と愧を後ろ盾とし、減じることがない。なぜなら、明が前におり、慚愧が後ろにあることで、諸趣における生・老・病・死を永遠に断滅し、一切の愁い・嘆き・憂い・苦しみ・熱悩などの法を超越し、如理に触れ、甘露を得て涅槃を証することができるからである。故に汝らはこのように学ぶべきである。我はいかにして永く無明を断じ、慧明を起こすべきか。いかにして一切の諸趣における生老病死を永遠に断じ、一切の愁い・嘆き・憂い・苦しみ・熱悩などの法を永遠に超越するか。いかにして如理に触れ、甘露を得て涅槃を証するか。汝ら比丘たちよ、このように学ぶべきである。 

釈:一切の世間における善き清浄法は、すべて智慧の明を先導として成長し、慚と愧を善法の後続の助縁として、善法が成長し続け減じないようにします。なぜこう言うのでしょうか。明が善法の前に位置し、慚愧が善法の後ろにあることで、永遠に六道の生老病死を断滅し、一切の憂悲苦悩の法を超越し、如実の理に触れ、甘露を得て涅槃を証することができるからです。故にあなたがたはこのように修学すべきです。私はいかにして無明を断除し、智慧の明を起こすべきか。いかにして一切の六道における生老病死を永遠に断じ、一切の憂悲苦悩などの法を永遠に超越するか。いかにして如実の理に触れ、甘露の法を得て涅槃を証するか。あなたがた比丘はこのように修学すべきです。 

原文:この時、世尊は重ねてこの法義をまとめ、偈を説かれた。 此世及び後世の生老病死など、貪愛などの煩悩は皆無明を根とす。 無明は大いなる愚かさ、久しく生死に住ましむ。此世と他世の高下、趣き往還す。 最初に無明あり、最後に無慚愧あり。諸の悪法を生長し、衆悪趣に堕つ。 故に精進に勤め、貪愛愚痴を離れ、智慧の明を起こし、生死の苦の根本を断つべし。 

釈:この時、世尊は法義を再説するため、次の偈を説かれました。この世と後の世の生老病死憂悲苦悩など、および貪愛などの煩悩は、すべて無明を根本として生じます。無明は最も大いなる愚痴であり、衆生を永久に生死の中に住まわせます。この世と他世の善道と悪道との往還は、すべて無明によるものです。衆生は最初に無明を持ち、悪法を生長した後、再び無慚無愧となるため、一切の悪法は生長し、遂には悪道に堕ちます。故に衆生は精進に励み、貪瞋痴の煩悩を離れ、智慧の明を起こし、生死の苦の根本を断ずべきです。

——生如法師の開示
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