(三)原文:我は世尊よりこのような教えを聞きました。比丘たちよ、知るべきである。世間の有情が一つの結を断じた時、残りのすべての結もまた同時に断たれる。いかなる一つの結か。これを我慢という。なぜならば、あらゆる結(煩悩)は、微細なものから粗大なものまで、すべて我慢を根とし、我慢から生じ、我慢によって成長するからである。故に我慢という一つの結が断たれる時、残りのすべての結もまた同時に断たれる。譬えば、世間の楼閣の中心部が、楼閣全体の各部分を支えているようなものである。中心部が崩れ落ちれば、残りの部分もまた崩れ落ちる。このように我慢は諸々の結の依り所であり、我慢が断たれれば、他の結もまた滅する。もし比丘たちが既に我慢を断じたならば、それは他の結も断じたことを知るべきである。もし比丘たちが既に他の結を断じたならば、それは苦の終極に達し、正智を修め、心は善く解脱し、慧は善く解脱し、もはや後の生存(輪廻)がないことを知るべきである。
釈:私は世尊からこのような説法を聞いた。比丘たちよ、知るべきである。世間の有情が一つの煩悩の結を断じた時、他のすべての結も全て断たれる。これはどの結か。我慢という結である。なぜなら、全ての結(微細なものから粗大なものまで)は我慢を根本とし、我慢から生じ、我慢によって成長する。故に我慢が断たれれば他の結も全て断たれる。譬えば楼閣の中心部が周囲の部分を支えているように、中心が崩墜すれば周囲も崩落する。
我慢の結もまた同様に、他の諸々の結の依り所である。我慢が断たれれば他の結も滅する。比丘たちが既に我慢を断じたなら、他の結も断じたと知るべきである。他の結を断じたなら、苦の終極に達し、正智を修め、心と慧が解脱し、もはや輪廻の生存がないと知るべきである。
原文:その時、世尊はこの意義を再説して偈を説かれた。 楼閣の中心の如く 衆分の依り所 中心若し墜ち落ちれば 余分皆堕落す かくの如く我慢結 衆結の依り所 我慢結断ずる時 諸結皆随って滅す 比丘我慢を断ずれば 余結悉く随って断ず 余結既に断ぜば 即ち苦辺を尽すを得 既に苦辺を尽せば 名づけて已に正智を修めたりと 心慧善く解脱し 後有畢竟無しと
釈:世尊はこの法義を繰り返し説き、偈を述べられた。楼閣の中心が他の部分を支えるように、我慢は諸々の結の基盤である。我慢が断たれれば他の結も滅する。比丘が我慢を断じれば他の結も断たれ、苦の終極に達する。正智を修め、心と慧が解脱すれば、輪廻の生存は永遠に消滅する。
我慢は意根の煩悩心所であり、我見を根本とする。五蘊十八界を我と我所と執着し、他者と比較して優越感を生じ、慢心を起こす。他の煩悩は我慢を基盤として生じる。我慢が断たれれば、六識の煩悩も根本から消滅する。枝葉の煩悩は容易に断てるが、根本が残れば再び生じる。
我慢を断じるには、意根の我見を滅し、五蘊十八界への執着を捨てねばならない。意根が無我となれば、我慢も消え、一切の煩悩が尽きる。我見を断つには意根の転換が必須である。意識の表面的な理解では不十分で、根本から断じねば、枝葉は再生する。故に智者は根本の修行に注力すべきである。
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