真実の心には一切の法なし
我々の真実の心には元来一切の法が存在しません。『般若心経』に説かれる如く、眼耳鼻舌身意無く、色声香味触法無く、眼界より乃至意識界に至るまで無く、五蘊無く、十八界無く、四聖諦無く、十二因縁無く、菩薩の六波羅蜜無く、智も得も無し。真に一切の法を遠離し、一切の法無く、寂滅無為なるが故です。しかし我々の心は五欲六塵に満ち、求めるものは全て三界の世間法であるため、喜怒哀楽が絶えず、苦受が尽きることがありません。
世間法を多く持てば持つほど苦しみが増し、解脱を得られず、我々は生死の苦に繋縛されます。色を喜楽すれば色に繋縛され、色身に縛られて解脱を得られません。声塵を喜楽すれば声塵に繋縛され、味塵・触塵・法塵を喜楽すればそれらに縛られます。六塵の境界に対して愛着しようと憎悪しようと、全て煩悩であり繋縛であり、解脱できなければ欲界に留まり苦悩憂悲を味わうことになります。
真実の心は一切の法に対し愛楽も憎厭も無いため、如何なる法にも繋縛されず、常に解脱しており、生死の憂悲苦悩がありません。愛楽があれば六道に流転して苦を受けますが、真実の心は愛楽せず、六道におらず、六塵の境界に住して苦を受けません。住すべき境界があれば繋縛され解脱できず、一切の境界に住さなければ離れ、解脱します。故に我々の修学の目標は、真実の心の如く次第に一切の諸法を遠離し、自心を空浄にして涅槃へ趣くことにあるのです。
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