如来蔵以外のすべての法は空である
色法そのものが空であり、地水火風の四大種によって形成される。地水火風そのものも空であるから、形成された物質世界も空であり、得るべきものではない。眼根も同様に空であり、得るべきものではなく、執着すべきでない。本来眼処というものは存在せず、眼根も存在しない。四大種が輸送され、無所有のところから眼根が生じ、最終的に再び無所有に帰する。形成の過程も結果も空であり、生滅する法、無所有の法こそが空である。どの法が空でないのか?われらの如来蔵の心は空ではない。形相なくとも、常に心を生じ、絶え間なく作用し、絶えずわれらに万法を現じさせている。これを除く一切の法は空である。
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