62. 愛楽の心がなければ一切の法を遠離できる
原文:眼処は畢竟空なるが故に、自性もまた空なりと知るべきである。前際も後際も得られず、未来に造られるものも得られない。なぜならば、自性は離れているからである。もし自性が存在しなければ、男相もなく女相もない。どうして愛楽があろうか。もし愛楽が生じれば、それは魔の境界である。もし愛楽がなければ、仏の境界である。なぜならば、愛楽がなければ一切の諸法を遠離できるからである。
釈:我々は眼根の処が畢竟空であるが故に、眼根の自性も空であることを知るべきである。眼根の前際も後際も得られない。なぜそう言えるのか。眼根の自性は一切の法を離れているからである。もし眼根に自性がなければ、眼根には男相もなく女相もない。男女の相に何の愛楽があろうか。もし男女の相に愛楽の心を生じるなら、それは魔の境界である。もし男女の相に愛楽がなければ、仏の境界である。なぜそう言えるのか。愛楽がなければ一切の法を遠離でき、心が清浄となるからである。
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