(四)原文:阿難。愛によって求が生じる。これはどのような意味か。もし一切の衆生に愛が無ければ、果たして求があろうか。 答えて曰く、無いです。阿難よ。私はこの縁によって、求は愛に由ることを知る。愛によって求が生じる。私の説くところの義はここに在る。また阿難に告げて曰く、愛によって求が生じ、守護に至る。受もまた同じく、受によって求が生じ、守護に至る。仏、阿難に告げて曰く、触を縁として受が存在する。これはどのような意味か。阿難よ、もし眼と色が無く、眼識が無ければ、果たして触があろうか。 答えて曰く、無いです。もし耳と声と耳識、鼻と香と鼻識、舌と味と舌識、身と触と身識、意と法と意識が無ければ、果たして触があろうか。答えて曰く、無いです。
釈:阿難よ、貪愛によって求める心が生じるとは、どのような意味か。もし一切の衆生に貪愛が無ければ、求める心があろうか。阿難は答えて「無い」と。仏は「阿難よ、私はこの縁によって、求める心は貪愛に由り、愛によって求が生じることを知る。私の説く義はここにある」と。さらに阿難に告げ「愛によって求が生じ、守護に至り、受もまた同じく、受によって求が生じ守護に至る」と。仏が阿難に「触を縁として受が存在する」と説く意味は何か。阿難よ、もし一切の衆生に眼根と色塵、眼識が無ければ、触は存在するか。阿難「無い」。耳根・声塵・耳識、鼻根・香塵・鼻識、舌根・味塵・舌識、身根・触塵・身識、意根・法塵・意識が無ければ、触は存在するか。阿難「無い」。
原文:阿難よ、もし一切の衆生に触が無ければ、果たして受があろうか。答えて曰く、無いです。阿難よ、私はこの義によって、受は触に由ることを知る。触を縁として受が存在する。私の説くところの義はここに在る。阿難よ、名色を縁として触が存在する。これはどのような意味か。もし一切の衆生に名色が無ければ、果たして心の触があろうか。 答えて曰く、無いです。 もし一切の衆生に形色相貌が無ければ、果たして身の触があろうか。答えて曰く、無いです。阿難よ、もし名色が無ければ、果たして触があろうか。答えて曰く、無いです。阿難よ、私はこの縁によって、触は名色に由ることを知る。名色を縁として触が存在する。私の説くところの義はここに在る。
釈: 仏は言う「阿難よ、もし一切の衆生に触が無ければ、受は存在するか」。阿難「無い」。仏「阿難よ、私はこの理によって、受は触によって生じ、触を縁として受が存在することを知る。私の説く義はここにある」。阿難よ、名色を縁として触が存在するとは、どのような意味か。もし一切の衆生に名色が無ければ、心で触れることがあろうか。阿難「無い」。もし一切の衆生に形ある色体相貌が無ければ、身の触れはあろうか。阿難「無い」。仏「阿難よ、名色が無ければ触は存在するか」。阿難「無い」。仏「阿難よ、私はこの縁によって、触は名色によって存在し、名色を縁として触が生じることを知る。私の説く義はここにある」。
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