衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年12月08日    火曜日     第2 回の開示 合計2883回の開示

長阿含大縁方便経第九

(三)原文:阿難よ。因に著ありて嫉あり。此れ何の義ぞ。もし一切の衆生に著するもの無からしめば、寧ろ嫉有らんや。答えて曰く、無なり。阿難よ。我此の縁を以て、嫉は著に由ることを知る。因に著ありて嫉あり。我の説く所の者は、義此に在り。阿難よ。因に欲ありて著あり。此れ何の義ぞ。もし一切の衆生に欲するもの無からしめば、寧ろ著有らんや。答えて曰く、無なり。阿難よ。我此の縁を以て、著は欲に由ることを知る。因に欲ありて著あり。我の説く所の者は、義此に在り。阿難よ。因に用ありて欲あり。此れ何の義ぞ。もし一切の衆生に用いるもの無からしめば、寧ろ欲有らんや。答えて曰く、無なり。阿難よ。我此の義を以て、欲は用に由ることを知る。因に用ありて欲あり。我の説く所の者は、義此に在り。 

釈:阿難よ、執着によって嫉妬が生じるとは、どういう意味か。もし一切の衆生に執着がなくなれば、嫉妬などあり得ようか。阿難が答えていわく「ありません」。仏は説かれた「阿難よ、この縁によって、嫉妬は執着に起因することを知る。執着があるからこそ嫉妬が生じる。私の説く教えの意義はここにある」。阿難よ、貪欲によって執着が生じるとは、どういう意味か。もし一切の衆生に貪欲がなくなれば、執着などあり得ようか。阿難が答えていわく「ありません」。仏は説かれた「阿難よ、この縁によって、執着は貪欲に起因することを知る。貪欲があるからこそ執着が生じる。私の説く教えの意義はここにある」。阿難よ、利用によって貪欲が生じるとは、どういう意味か。もし一切の衆生に利用する心がなくなれば、貪欲などあり得ようか。阿難が答えていわく「ありません」。仏は説かれた「この道理によって、貪欲は利用に起因することを知る。利用があるからこそ貪欲が生じる。私の説く意義はここにある」。

原文:阿難よ。因に利ありて用あり。此れ何の義ぞ。もし一切の衆生に利するもの無からしめば、寧ろ用有らんや。答えて曰く、無なり。阿難よ。我此の義を以て、用は利に由ることを知る。因に利ありて用あり。我の説く所の者は、義此に在り。阿難よ。因に求ありて利あり。此れ何の義ぞ。もし一切の衆生に求むるもの無からしめば、寧ろ利有らんや。答えて曰く、無なり。阿難よ。我此の縁を以て、利は求に由ることを知る。因に求ありて利あり。我の説く所の者は、義此に在り。 

釈:阿難よ、利益があるから利用が生じるとは、どういう意味か。もし一切の衆生に利益がなくなれば、利用しようとする心などあり得ようか。阿難が答えていわく「ありません」。仏は説かれた「阿難よ、この道理によって、利用は利益に起因することを知る。利益があるからこそ利用が生じる。私の説く意義はここにある」。阿難よ、求めることによって利益が生じるとは、どういう意味か。もし一切の衆生に貪求がなくなれば、利益などあり得ようか。阿難が答えていわく「ありません」。仏は説かれた「阿難よ、この縁によって、利益は求めることに起因することを知る。求めることがあるからこそ利益が生じる。私の説く教えの意義はここにある」。

——生如法師の開示
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