衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年12月02日    水曜日     第2 回の開示 合計2861回の開示

勝解心所と慧心所の関係

論では、勝解とは境に対する印可であり、境を境と知り、境を境と信じ、誤りなく、疑いを挟まないことであると説かれています。例えば心が花や月に対面する時、勝解によってそれを花や月と確信し、疑うことなく、自らの理解を信じ、容易に動かされない状態を指します。「勝」の字は境に対する理解の深度を表し、境の真実性に接近した状態を示します。しかしこれは最終的な確信ではなく、境の真実性を証得した段階でもありません。その後に続く「慧心所法」が現前した時、初めて境を証得し、花や月の境界を完全に知り得るのです。

勝解は「其の然るを知る」ことに相当し、慧は「其の所以然るを知る」ことに相当します。前者は解であり、後者は証です。勝解は浅い慧であり、慧の基礎となります。慧は究極的な最終認知です。仏法の修証において、勝解心所法は解悟に相当し、慧心所法は証悟に相当します。解悟を証悟へ転じるには、念心所法と定心所法の二段階を経て、解いた法を心に堅固に刻印し、念念忘れず、禅定を修め、心念をこの法に定めて不断に参究し、最終的に心開して確信し、大智慧が現前して初めて証悟に至ります。

花や月に対する勝解は世俗的事柄であり、世俗法の理念と知識を備え、六根が正常で遮障がなければ、比較的容易に達成されます。そこには浅い解慧も含まれています。しかし仏法において勝解の域に達するのは容易ではなく、仏法に関する知識と理念を備え、三十七道品を修して業障の遮障を減じる必要があります。それでもなお証得までの道程は遠く、一定の因縁条件が整って初めて円満に証得できるのです。

——生如法師の開示
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