衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年12月03日    木曜日     第1 回の開示 合計2862回の開示

勝解心所法

法に対する勝解は七識全てに存在します。なぜなら七識はそれぞれ対応する法を有しており、もしいずれかの識が自らの対応法を勝解できなければ、その識心は対応する法を認識できず、後続の作用が生じないか、あるいは後続の作用が全て混乱し、衆生は正常な生活・仕事・修行ができず、何も成し遂げられないからです。第六識がそうであるように、第七識はなおさらです。主導する識が対応する法を勝解できないことは、天下が大混乱するようなもので、愚かな衆生でさえ存在し得ず、細菌さえ直面する状況を勝解できる中で、人間や天界の高級衆生の第七識が塵境などの諸法を勝解できなければ、どうして五陰身の運行を調整制御できましょうか。闇雲に指揮を取る盲猫が死んだ鼠にぶつかるような曖昧な状態では、このような五陰身は生存できません。

例えば人が花を買う場合、花市場に行って多数の花から選択する時、眼識は見る花色を勝解しなければ花色が何であるかを知り、眼識はまた花を勝解しなければ花の美しさと新鮮さ、自分が求めるものかどうかを判断します。意根は花に対してさらに勝解を要し、六識が見て選択する花の品種・色合い・価格などの状況を明確に把握して初めて購入の可否を決定できます。もし不明確であるか決断できない場合、六識に継続的に選択・比較させ、完全に明確かつ満足するまで続け、最終決定後に初めて花を買う行為が完結します。一切の法も同様であり、六識の了別状況を第七識である意根が全て勝解できてこそ、一切の運行を推進し、混乱なく五陰身に正常な生活と仕事を行わせることができるのです。

——生如法師の開示
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