衆生の色身内の細菌
火界には熱性・温性があり、もし身体に火性と温度性がなければ、胃の中の食物は腐敗して身体に吸収されません。したがって私たちが食べる料理がどれほど美味しく色香り豊かであっても、胃に入ると身体の火性によって食物は腐敗します。私たちが摂取する所謂栄養は非常に汚穢不浄なものであるため、飲食に執着すべきではありません。常にこのような不浄観を修することで、飲食への貪欲心を減らすことができます。
実際に仔細に考えてみると、私たちの身体は頭の先から足の先まで、内側から外側まで非常に汚穢に満ちており、至る所に細菌が存在しています。食物の腐敗分解は全て細菌の分解作用によるもので、細菌の助けがなければ食物を吸収できません。細菌が分解を助け、消化を助け、吸収を助けてくれるお陰で、衆生はこれらの有益な細菌に依存して正常に生活できるのです。したがって、私たち自身の汚穢な色身や他の衆生の汚穢な色身に執着し愛着する必要は全くありません。
仏は衆生の色身を移動式トイレのようなもの、大きな糞桶のようなものだと説かれました。滑らかな外皮に包まれていますが、この外皮を剥がせば中は血塗れの肉塊で、全て細菌に満ち、外皮も細菌で充満しています。皮を剥がした時、その人はまだ美しく、綺麗でしょうか。全て血と肉と筋と骨で、仔細に考えれば衆生の色身に執着し愛着する価値は全くなく、非常に汚穢なものです。もし私たちに天眼通があれば、目が顕微鏡のように皮膚や体内を照らし出し、内も外も全て細菌で満ちていることが分かるでしょう。肉眼では見えませんが、顕微鏡や天眼で見ることができます。それらの細菌も争いをしており、細菌の数が不均衡になると皮膚病やその他の病気にかかります。細菌の数が不均衡な部位に病気が発生するのです。私たちが空腹を感じるのも細菌が空腹だからで、細菌が食べ物を欲すれば私たちも食べたくなり、貪食や食い意地が出てくるのです。
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