(二)原文:この四つの食は何を因とし、何を集とし、何を生じ、何を触とするのか。すなわちこれらの食は、愛を因とし、愛を集とし、愛を生じ、愛を触とするのである。この愛は何を因とし、何を集とし、何を生じ、何を触とするのか。すなわち愛は受を因とし、受を集とし、受を生じ、受を触とするのである。この受は何を因とし、何を集とし、何を生じ、何を触とするのか。すなわち受は触を因とし、触を集とし、触を生じ、触を触とするのである。
釈:この四つの食は何を因として現れるか。何の集によって引き起こされるか。何の生によって生じ、何の触によって導かれるか。これら四つの食は愛を因として現れ、愛の集によって引き起こされ、愛の生によって生じ、愛の触によって導かれる。この愛は何を因として現れるか。何の集によって引き起こされ、何の生によって生じ、何の触によって導かれるか。この愛は受を因として現れ、受の集によって引き起こされ、受の生によって生じ、受の触によって導かれる。この受は何を因として現れるか。すなわち六根と六境の触れ合いを因として現れ、触の集によって引き起こされ、触の生によって生じ、六根と六境の触れ合いによって導かれる。
もし愛がなければ、愛が滅尽すれば、識食は生じず、触食もなく、思食と団食もなく、四つの食は滅尽して生じない。故に貪愛は苦であり、貪愛は生死流転の苦因である。
原文:この触は何を因とし、何を集とし、何を生じ、何を触とするのか。すなわち触は六入処を因とし、六入処を集とし、六入処を生じ、六入処を触とする。六入処の集は即ち触の集であり、触の集は即ち受の集であり、受の集は即ち愛の集であり、愛の集は即ち食の集である。食が集ずるが故に、未来世の生老病死・憂悲悩苦が集起し、かくの如き純粋なる大苦聚が集積する。このように六入処が滅すれば触は滅し、触が滅すれば受は滅し、受が滅すれば愛は滅し、愛が滅すれば食は滅する。食が滅するが故に、未来世の生老病死・憂悲悩苦は滅し、かくの如き純粋なる大苦聚は滅尽する。仏はこの経を説き終えられると、諸比丘は仏の説かれたことを聞き、歓喜して奉行した。
釈:この触は六入処を因として現れ、六入処の集によって引き起こされ、六入処の生によって生じ、六入処の触れ合いによって導かれる。六入処の集は即ち触の集であり、触の集は受の集となり、受の集は愛の集となり、愛の集は四つの食の集となる。食が集積する故に、未来世の生老病死・憂悲悩苦が集起し、純粋なる大苦聚が形成される。これらの法の相関関係に従えば、六入処が滅すれば触は滅し、触が滅すれば受は滅し、受が滅すれば愛は滅し、愛が滅すれば四つの食は滅し、四つの食が滅すれば、未来世の生老病死・憂悲悩苦という純粋なる大苦聚は滅尽する。
2
+1