衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

生如法師ウェブサイトロゴ

日常法話

2020年11月26日    木曜日     第2開示 合計2837開示

意識と禅定の関係

思量 (manasikāra/manana) と参究は、いずれも深いじょう(samādhi)の中で行われるものであり、意識はごくわずかしか使われない。もし意識を使って絶えず推理を続ければ、深いじょうから出てしまい、定は浅くなるか消失してしまい、結果として実証ができなくなる。要するに、意識を多く使えば定を得ることはできず、少しでも深いじょうを得ることはできない。意識を少ししか使わないことによってのみ、心神が散乱せずに済むのであり、これも意根を降伏させて、もはやあちこちに攀縁させないことの結果である。もし意根が降伏されておらず、あちこちに攀縁するならば、意識も必ずそれに従ってあちこちに攀縁し、意識は散乱してしまい、意識だけに頼る浅い思惟では、真の智慧を開発することはできない。

——生如法師の開示
前へ前へ

雑阿含経(三六九)

次へ 次へ

父子合集経講記(二七)

ページトップへ戻る