原文:如是我聞。一時。仏は舎衛国祇樹給孤独園に住したまえり。爾時。世尊は諸比丘に告げたまわく。昔、毘婆尸仏が未だ正覚を成さざりし時、菩提の所に住し、間もなく仏となり、菩提樹の下に詣で、草を敷いて座と為し、結跏趺坐し、端坐正念し、一坐七日を経て、十二縁起を逆順に観察したまえり。所謂、此有るが故に彼有り、此起るが故に彼起る。無明を縁として行あり、乃至生を縁として老死あり、及び純大苦聚の集まり、純大苦聚の滅びなり。彼毘婆尸仏は正坐七日を経て、三昧より覚め、此の偈を説きたまえり。
釈:世尊は諸比丘に告げられた。往昔、毘婆尸仏が未だ仏陀とならざりし時、菩提道場に住し、間もなく成仏した。菩提樹の下に至り、草を敷いて禅座と為し、結跏趺坐して端坐正念し、七日間坐し続け、十二因縁の法を順観し、後に逆観した。此れ有る故に彼れ有り、此れ起る故に彼れ起るという十二因縁を観じ、無明を縁として行が生じ、乃至生を縁として老死憂悲苦悩の純大苦聚が集まり、純大苦聚が滅することを観じられた。毘婆尸仏は七日間端坐を続けた後、三昧より起座し、次の偈を説かれた。十方諸仏も十方の大菩薩も、また辟支仏・縁覚仏も、十二因縁法を観ずる時、皆甚深禅定の中に観を起こし、三昧の定境にありて観行を成就し、実証を得て解脱の三昧境に至る。定慧等持し、如何なる法門の実証も甚深禅定中の観修に依り、戒定を離れずして三昧慧を証する。禅定無くしては真実の観行は成し難く、実証も得られぬ。故に、諸仏菩薩や辟支仏・阿羅漢が推理によって十二因縁や四聖諦、或いは明心見性を証得したと誤解すべからず。聖賢の仏法証得は全て禅定の中にあり、禅定を具足せずしては成らず、推理や情思意解に依るものでは無い。
原文:かくの如く諸法生じ 梵志は勤めて禅を思う
永く諸疑惑を離れ 因縁生法を知る
若し因の生苦を知り 諸受の滅尽を知れば
因縁法の尽くるを知り 則ち有漏の尽くるを知る
かくの如く諸法生じ 梵志は勤めて禅を思う
永く諸疑惑を離れ 因有る生苦を知る
かくの如く諸法生じ 梵志は勤めて禅を思う
永く諸疑惑を離れ 諸受の滅尽を知る
かくの如く諸法生じ 梵志は勤めて禅を思う
永く諸疑惑を離れ 因縁法の尽くるを知る
かくの如く諸法生じ 梵志は勤めて禅を思う
永く諸疑惑を離れ 諸有漏の尽くるを知る
かくの如く諸法生じ 梵志は勤めて禅を思う
普く諸世間を照らす 虚空に日住するが如く
諸魔軍を破壊し 諸結の解脱を覚る。
仏此の経を説き已りたまう。諸比丘仏の説きたまう所を聞き、歓喜して奉行せり。
釈:これら諸法の生起する理を、梵志は禅定に勤め思索し、遂に全ての疑惑を永遠に離れ、因縁生法を実証する。もし種々の因縁が生老病死憂悲苦悩を生じさせる理を証得し、全ての受が滅尽することを知り、因縁生法が尽きることを証知すれば、この時漏尽通を証得し、全ての煩悩漏は断じ尽くされる。これらの因縁生法を、梵志は禅定に勤め思索し、その智慧をもって一切世間を普く照らし、虚空に住する太陽の如く、一切の魔軍を破壊し、諸法を覚り、煩悩結を断じて永遠に解脱を得る。
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