足を組んで静かに座り、深く息を吐いてから吸い、心が静まり、安らかになってから、一つの問題について深く思考し始める。最初は必ず意識によって思考するが、次第に問題に集中するようになると、意識はただ問題を見つめて心を動かさず、代わりに意根が深く思量 (manasikāra/manana) して参究するようになる。意根は動いているとはいえ、その動きは極めて極めて遅く、最後にはまるで動いていないかのようになり、問題は空茫とした脳の中、あるいは勝義根 (indriya)、いわゆるブラックボックスの中に懸かっている。
意識の注視と意根の思によって、言語文字を持たない情報が閃き出てくる。意根は知り、意識もそれを理解するが、必ずしもはっきりと明瞭であるとは限らない。もし定力が十分で衰えなければ、情報はその後ますます多くなり、ますます明晰になり、心の中でそれがどんな情報なのかがますます明らかになり、問題の答えが次第に現れてきて、心は軽やかで明るくなる。じょう (samādhi) から出た後は、意識が脳の中に現れた情報を最初から最後まで一度濾過し、一度思い出し、一度点検して、最後に確定する必要があり、意根もそれに伴って確定し、結果が確定するのである。
この全過程を通じて、非常に深く集中した禅定が必要である。深く思考する過程で、定力がますます良くなり、ついには心がじょう (samādhi) に入り、軽やかで、愉悦で、快適になることもあるが、必ずしも意根の思量 (manasikāra/manana) があるとは限らない。じょう (samādhi) から出た後、あるいは定力が衰えた後、引き続き思量参究すれば、最終的な結果も現れてくる。
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