如是我聞。一時、仏は舎衛国の祇園精舎に住したまえり。その時、世尊は諸比丘に告げられた。汝らは方便を勤めて禅定と思惟を修習し、内にその心を寂(じゃく)すべきである。何を以てかというに、比丘が禅定と思惟を修じ、内に心を寂するために方便を勤めるならば、この如く真実が顕現するからである。如何なる真実が顕現するか。老死が真実として顕現し、老死の集まりと老死の滅び、老死を滅ぼす道跡が真実として顕現する。生・有・取・愛・受・触・六入処・名色・識・行が真実として顕現する。行の集まりと行の滅び、行を滅ぼす道跡が真実として顕現する。これらの諸法は無常にして、有為有漏なることが真実として顕現する。仏がこの経を説き終えられると、諸比丘は仏の説かれたことを聞き、歓喜して奉行した。
釈:世尊は諸比丘に告げられた。汝らは精勤して適切な方法を求め、禅定と思惟を修習し、心を寂静にすべきである。何故このようにするのか。比丘が方便を勤めて禅定中に思惟を修め、心が清浄寂静となった後、心の中にこの如く真実の法が顕現するからである。如何なる法が心に真実として顕現するか。老死という法が真実として顕現し、老死の縁を証得する。心に老死の集起が如何なるものかが真実として顕現し、老死の集まりが生の集まりによって引き起こされることを証得する。心に老死の滅びが真実として顕現し、生の滅びによって老死が滅びることを証得する。心に老死を滅ぼす修道の軌跡と方法が真実として顕現し、八正道を修習する必要があることを知り、老死の法を滅ぼすのである。
2
+1