衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年11月24日    火曜日     第1 回の開示 合計2827回の開示

雑阿含経(三五九)

如是我聞。一時、仏は舎衛国の祇樹給孤独園に住したまえり。爾時、世尊は諸比丘に告げたまわく、若し思量し、若し妄想生ずれば、彼の使う縁に攀じる識が住す。縁に攀じる識の住するが故に、未来世の生老病死憂悲悩苦有り。かくの如きは純大苦の聚集なり。若し思量せず、妄想せざれば、縁に攀じる識の住する使うこと無し。縁に攀じる識の住すること無きが故に、未来世の生老病死憂悲悩苦は滅す。かくの如きは純大苦聚の滅なり。仏は此の経を説き終えたまう。諸比丘は仏の説きたまう所を聞き、歓喜して奉行せり。

釈:世尊は諸比丘に告げたまわく、人がもし心に思量を起こし妄想するならば、六境の境界に攀縁する六識を生ぜしむ。六識が六境の境界に住するが故に、未来世の生老病死憂悲苦悩という純粋なる大苦が聚集する。もし人が再び思量せず妄想しなければ、六境に攀縁する六識は生じず、六境の境界に住すること無し。六境に攀縁する六識の住すること無きが故に、未来世の生老病死憂悲苦悩という純大苦聚は滅して現れず。

ここに説く思量妄想は全て意根の思量性と妄想性を指す。意根が諸法を思量し諸法を妄想する時、六識は生じて意根の妄想を満たし、意根の妄想を実現す。ここに六識は妄想境界に住して絶えず身口意行を造作し、業種が留まれば、後世の五蘊身が生老病死憂悲苦悩を承受すること有り。もし意根が再び諸法を思量せず、何らの妄想も無ければ、六識は生ぜず、身口意行も現れず、業種の留まること無く、後世の生老病死憂悲苦悩も無きなり。

——生如法師の開示
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