仏法は衆生を解脱に導く法であり、衆生を生死の輪廻から解脱させることができます。世俗法は仏道以外のさまざまな法を含み、儒教や道教の法は衆生を解脱に導くことができず、生死の輪廻から解脱させることはできません。仏法のみが世間の幻化と空を説き、実相の空を説きます。空を証得してこそ解脱できるのです。仏道以外の法は多く「有」を説き、仮に空を説いてもそれは一部の空、浅次元の空に過ぎず、世間の空さえ究竟しておらず、ましてや出世間の実相の空などありません。空こそが解脱であり、有は束縛なのです。仏法とは無所求の空法による解脱であり、外道の法は有法による束縛、有所求の法です。
仏法は仏法であり、外道は外道です。思想観念が異なるのであり、もし同じなら外道は外道ではなく、仏法と呼ばれるでしょう。もし老子が悟りを開いていたなら、その伝える法も衆生を解脱させたはずで、仏がわざわざこの世に来る必要はなかったでしょう。外道と仏法の共通点は禅定と世間善にありますが、思想観念と境地が異なります。仏法は世間の虚妄不実を説き空を説きますが、外道は有を説き、有を基盤として禅定と善法を修するため、空に至ることができず五蘊から解脱できないのです。
一部の世間法に本源類の用語が見られる場合でも、それは浅い意味の部分に属し、世俗的な本源や起源に関するもので、その源流は依然として有であり空ではなく、万法の実質や根本的な生死の源流に及ぶものではありません。世間法は真の覚りの法ではないのです。もしそうなら、それは仏法と呼ばれるはずです。
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