如是我聞。一時、仏は舎衛国の祇樹給孤独園に住したまえり。その時、世尊は諸比丘に告げたまわく、「増法と减法とがある。よく聞き、善く思惟せよ。汝らのために説かん」と。
何が増法か。これ有るが故に彼有り、これ起こるが故に彼起こる。すなわち無明を縁として行あり、行を縁として識あり、乃至純大苦聚が集起する。これを増法と名づく。
何が减法か。これ無きが故に彼無く、これ滅するが故に彼滅す。すなわち無明が滅すれば行は滅し、行が滅すれば識は滅し、乃至純大苦聚が滅尽する。これを减法と名づく。仏はこの経を説き終えられし時、諸比丘は仏の説かれたことを聞き、歓喜して奉行せり。
釈:世尊は諸比丘に告げたまわく、「増法と减法とがある。汝らに説かん。よく聞き、善く思惟せよ」と。何が増法か。増法とはこれ有るが故に彼有り、これ起こるが故に彼起こることを指す。この法が存在するが故に、彼の法が生起する。すなわち無明を縁として行が生じ、行を縁として識が生じ、乃至生を縁として老死憂悲苦悩の純大苦聚が生起する。これが十二因縁の生死流転に順ずる縁起の法である。
何が减法か。减法とはこれ無きが故に彼無く、これ滅するが故に彼必ず滅すことを指す。この法が消失すれば、彼の法もまた共に消滅する。すなわち無明が滅すれば行も滅し、行が滅すれば識も滅し、乃至生が滅すれば老死憂悲苦悩の純大苦聚もまた滅尽する。これが十二因縁の生死の流れに逆らう縁滅の法である。
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