衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2020年11月23日    月曜日     第2 回の開示 合計2823回の開示

雑阿含経(三五八)

原文:このように私は聞いた。ある時、仏は舎衛国の祇樹給孤独園におられた。その時、世尊は諸比丘たちに告げられた。「増法と減法がある。よく聞き、善く思惟せよ。汝らのために説くであろう。いかなるが増法か。これ有るが故に彼が有り、これ起こるが故に彼が起こる。すなわち無明を縁として行があり、行を縁として識があり、乃至、純大苦聚が集起する。これを増法と名づく。いかなるが減法か。これ無きが故に彼が無く、これ滅するが故に彼が滅す。すなわち無明が滅すれば行も滅し、乃至、純大苦聚も滅尽する。これを減法と名づく」。仏がこの経を説き終わられると、諸比丘たちは仏の説かれたことを聞き、歓喜して奉行した。 

釈:世尊は諸比丘たちに告げられた。「増法と減法というものがある。汝らに説くからよく聞き、善く思惟せよ。増法とは何か。これがあるがゆえにそれがあり、これが起こるがゆえにそれが起こる。この法が存在するゆえに、彼の法が生じる。すなわち無明を縁として行が生じ、行を縁として識が生じ、乃至生を縁として老死憂悲苦悩という純大苦聚が生起する。これが十二因縁に順じ生死が流転する縁起の法である。 

減法とは何か。これが無いがゆえにそれも無く、これが滅するがゆえに必ずそれも滅する。この法が消滅すれば、彼の法も共に消滅する。すなわち無明が滅すれば行も滅し、行が滅すれば識も滅し、乃至生が滅すれば老死憂悲苦悩という純大苦聚も尽き滅する。これが十二因縁に逆らって生死の流れを断つ縁滅の法である」。

——生如法師の開示
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