衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
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仏道無上誓願成

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日常法話

2020年11月19日    木曜日     第1開示 合計2805開示

雑阿含経(三四七)之二

(二)原文:复问。云何尊者。离苦息乐。忧喜先断。不苦不乐舍。净念一心。具足第四禅。不起诸漏。心善解脱耶。答言。不也须深。复问。若复寂静。解脱色无色。身作证具足住。不起诸漏。心善解脱耶。答言。不也须深。须深复问。云何尊者。所说不同。前后相违。云何不得禅定。而复记说。比丘答言。我是慧解脱也。作是说已。众多比丘。各从座起而去。

解釈:須深はさらに問いました。尊者よ、どのように苦受を離れ、楽受を滅し、憂喜の心をことごとく断除し、苦でも楽でもない捨心に住し、心念清浄にして、心を一つに専一し、第四禅を具足し、一切の煩悩漏を生起させず、心よく解脱するのでしょうか。比丘は答えて言いました。解脱はそのように修するのではありません。須深はさらに問いました。どのように心を寂静とし、色界と無色界の繋縛を解脱し、身をもって作証し、完全に解脱の中に住し、一切の煩悩漏を生起させず、心よく解脱するのでしょうか。比丘は答えて言いました。解脱はそのように修するのではありません。須深はさらに問いました。なぜ尊者の所説が解脱の実証と異なり、前後して矛盾するのでしょうか。なぜ四禅八定を証得していないと言いながら、自ら証して後有を受けないと記説するのでしょうか。比丘は答えて言いました。私は智慧をもって解脱したのです。こう言い終わると、多くの比丘はそれぞれ座から起って立ち去りました。

須深は、証果は四禅八定を修してこそ成し遂げられるものと思い込んでいて、解脱の法を智慧によって知り、解脱の法を証する必要があることを知らなかったため、誤解が生じ、あの阿羅漢たちの所説する自証の境界が解脱の境界と一致しないと考えたのです。阿羅漢には慧解脱の者もあれば、定解脱の者もあり、俱解脱の者もあります。慧解脱は初禅の定を具えていればよく、解脱の智慧は必ず具足していなければならず、寿命が終わる時に解脱の智慧に依拠して無余涅槃に入ることができます。一方、定解脱の阿羅漢は、四禅八定を有し、同時に解脱の智慧を有していなければならず、主に禅定に依拠して解脱を得、無余涅槃に入りますが、寿命は自らの掌握に委ねられ、長くも短くもできます。また、俱解脱の阿羅漢は、四禅八定を有するだけでなく、滅尽定も有し、解脱の智慧も具足していなければならず、滅尽定の中でいつどこでも無余涅槃に入ることができ、寿命の終わりを待つ必要はありません。

——生如法師の開示
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