衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2020年11月17日    火曜日     第3開示 合計2799開示

想とは何か

八識の五遍行心所法にはすべて想があり、この想とは識心の了別作用・思惟作用・取着作用を指し、欲望や願望、希望をも表しており、衆生の思想活動のほぼ半分を占めており、識心が選択し決定を下す根拠と原動力となっています。

このうち五識の想は比較的単純で直接的であり、五塵を了別し分別する作用を起こすだけで、その取着性は強くなく、また目立たず、すべて意根の推動と調節のもとで行われます。意根の推動がなければ、五識の想はありません。意識の想は内容が豊富で、比較的目立ち、思惟も比較的複雑であり、一部には自主性がありますが、大部分は受動的です。その自主的な部分は、意根の思想・意志や観念にあまり反してはならず、さもなければ意根が制止し、想い続けることを許さず、意根の情緒不安定を招きやすく、心理的な問題を引き起こすこともあります。六識の想は五蘊の中の想蘊に分類され、諸法の種を蘊集させる作用があり、生滅変異し、自主性がありません。

意根の想には了別・分別性があるだけでなく、主として執取の作用があります。意根が諸法を執取するからこそ、諸法は絶えず生じ、滅し、生滅変異が止まることがないのです。意根の執取性は十二因縁の中の取に分類されます。意根の取があってこそ、後世の有と生死があるのです。それゆえ、意根の想は諸法の生起と滅尽のいずれに対しても極めて重要な役割を果たしています。広義に言えば、意根にも諸法を蘊集させる作用があり、しかも主要な役割を果たしているので、やはり五蘊の中の想蘊に分類されるべきです。

第八識の想は比較的純粋で、了別・分別の作用を果たすだけであり、しかも極めて速く、決して深く思い悩んだり考え抜いたりすることはなく、どんな法を見ればその法を知るのであり、思惟・思量や琢磨・推理といった思想活動を必要とせず、七識とはまったく異なっています。第八識には無明がなく、その慧は特に強く、ほとんど自動化されたプログラムのような了別であり、途中に停滞や停止がなく、一切の法に対して心に入れることがありません。第八識の想があるがゆえに、第八識は諸法および種子に対する択えを行い、それによって諸法は絶え間なく運行し続け、ここが生じればあちらが滅し、あちらが生じればここが滅し、秩序正しく運行し、少しも錯乱することがありません。衆生は世間が非常に乱れていると常に感じていますが、それは業によって必然的にそうなると決まっているのです。七識と五蘊の世間がどんなに乱れていても、第八識の運行は乱れません。それゆえ、第八識の想は五蘊の世間に対して決定的な蘊集作用を持ち、広義に言えば、これもまた想蘊の範疇に属するのです。

——生如法師の開示
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