修行の次第
浄飯王は、世尊の説法を聞いた後、心に憶持し、念々に法を思うべきだと述べた。憶持の前提は「聞く」ことにあり、理解できて初めて勝解となる。勝解を得てこそ憶持が可能となる。理解できなければ忘れやすく、回想時に思い出せないが、理解した後は内容を自然に記憶し、暗記に頼らずとも提起されれば意味が分かる。これが「憶持不忘」である。憶持不忘の前提は理解にあり、理解の前提は仔細に聞くこと、すなわち諦聴にある。諦聴とは専心して聞くことで、心が禅定にある状態を指す。故に仏陀は説法前に弟子たちに「諦聴せよ、善く思念せよ」と告げられる。仔細に真剣に聞き、その後よく思惟するのである。聞き終わって終わりではなく、聞いた後も思惟し、思考を深めて初めて理解に至る。理解することこそ勝解であり、勝解を得れば自然に記憶される。
法を聞いて記憶できないのは記憶力の問題だけでなく、当時理解があったかどうか、聞いた後に思惟を重ねたか、その思惟が深く細やかであったかによる。これらが不十分であれば記憶に留まらず、聞いた内容が何であったか分からなくなる。憶持の次は信受、すなわち信じて受け入れることである。信受の次は教えに従って実践することであり、これを成し遂げて初めて学んだ法が自己のものとなる。これが修行の次第である。まず諦聴し、次に思惟し、憶持し、信受し、奉行するのである。
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