(二)原文:彼の如来は自ら覚知し、等正覚を成じ、人々のために説法し、開示顕発する。縁起によって老病死憂悲悩苦があると。これらの諸法は、法住・法空にして、法の如く法爾なり。法は如より離れず、法は如と異ならず。審らかに真実を諦観し、顛倒せず。かくの如く縁起に随順するを、縁生法と名づく。即ち無明・行・識、名色・六入処・触・受・愛・取・有・生・老病死憂悲悩苦、これを縁生法と名づく。
釈:この法によって修行成就した如来は、全て自ら覚り自ら証して等正覚となり、その後あまねく人々に説法し、縁起法と縁生法を開示顕発した。即ち「生という現象を縁として老病死憂悲悩苦がある」と説かれた。これらの縁起法・縁生法は常住するが、しかもこれらは空であり、本来このようである(法爾)。理のままに存在し(法如)、真如から離れず(法不離如)、真如と異ならない(法不異如)。仔細に観察すれば全て真実の理であり、顛倒ではない。このように縁に随って生起する法を縁生法という。具体的には、無明を縁として意根の行が生じ(無明縁行)、行を縁として識が生じ(行縁識)、識を縁として名色が生じ(識縁名色)、名色を縁として六入が生じ(名色縁六入)、六入を縁として触が生じ(六入縁触)、触を縁として受が生じ(触縁受)、受を縁として愛が生じ(受縁愛)、愛を縁として取が生じ(愛縁取)、取を縁として有が生じ(取縁有)、有を縁として生が生じ(有縁生)、生を縁として老病死憂悲悩苦が生ずる(生縁老死憂悲悩苦)。これが縁生法である。
四聖諦・十二因縁・無明・生老病死などの世間的縁生法は全て世間に常住するが、これらの法は相の上では存在しても実質はなく空である。全て第八識が顕現したものであり、また第八識そのものである(これが法如の意)。第八識と異ならず(不異如)、第八識から生じその属性を帯びる(法爾)。五陰法・六根法・六塵法・六識法・四聖諦法・十二因縁法は全て真如から離れず、ただ真如のみが真実である。他の法は全て真如に随って顕現した仮の生滅無常のものであり、仏はここで明説されているように「縁生法は真如(第八識)から離れない」と。
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