衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2020年11月09日    月曜日     第1 回の開示 合計2771回の開示

雑阿含経(二九六)の一

(一)原文:その時、世尊は諸比丘に告げられた。「我今、因縁法及び縁生法を説かん。いかなるを因縁法と為すや。これ有るが故に彼有りと謂う。すなわち無明を縁として行あり。行を縁として識あり。乃至かくの如く純大苦聚が集起する。いかなるを縁生法と為すや。無明・行を謂う。仏が世に出ずるとも、未だ世に出でざるとも、この法は常住なり。法は法界に住す。彼如来は自ら覚知し、等正覚を成じ、人々のために演説し、開示顕発する。すなわち無明を縁として行有り、乃至生を縁として老死有り。仏が世に出ずるとも、未だ世に出でざるとも、この法は常住なり。法は法界に住す」。

釈:世尊は諸比丘に告げられた。私は今、因縁法と縁生法を説く。因縁法とは何か。これ有るが故に彼有る、すなわち無明を縁として意根の行があり、行を縁として六識があり、六識を縁として名色があり、名色を縁として六入があり、六入を縁として触があり、触を縁として受があり、受を縁として愛があり、愛を縁として取があり、取を縁として有があり、有を縁として生があり、生を縁として老死憂悲苦悩があり、かくの如き純大苦聚が集起する。

縁生法とは何か。無明を縁として行があり、行を縁として六識があり、六識を縁として名色があり、名色を縁として六入があり、六入を縁として触があり、触を縁として受があり、受を縁として愛があり、愛を縁として取があり、取を縁として有があり、有を縁として生があり、生を縁として老死憂悲苦悩がある。仏が世に出ようと未だ出でざろうと、これらの理法は世間に常住し、この法は本来の法界に住する。この法に依って修行成就した如来は、自ら覚り自ら証して等正覚となり、後々に人々のために演説し、因縁法縁生法を開示顕発する。すなわち無明を縁として行有り、行を縁として六識あり、乃至生を縁として老死憂悲苦悩あり、かくの如き純大苦聚がある。仏が世に出ずるも出でざるも、この理法は常に世間に存し、因縁法は法界に常住する。

因縁法は実相法ではなく、生滅の仮法であり、阿頼耶識より来る。阿頼耶識無くんば因縁法無く、生死も無く、純大苦聚も無し。十二因縁法が示す真理は世間の真理に過ぎず、出世間の究竟たる真理ではない。この真理は仮象に過ぎず、阿頼耶識こそが最も真実に存在する理である。一切の法は阿頼耶識に依って有り、世俗相の法は全て仮なるものなり。仏が説く四聖諦も真理であるが、この真理は表相的な真理に過ぎず、究竟の真理は阿頼耶識なり。阿頼耶識無くんば四聖諦も無く、十二因縁も無し。これらも真理と称せらるれど、ただ世俗法上の真理に過ぎぬ。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

雑阿含経(二九五)の二

次の記事 次の記事

法住法位、世間の相は常に在り

ページのトップへ戻る