衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年11月05日    木曜日     第1 回の開示 合計2764回の開示

雑阿含経(二九四)の一

(一)原文:その時、世尊は諸比丘たちに告げられた。無知で教えを聞かない凡夫は無明に覆われ、愛縁によってこの識身を縛られる。内にこの識身があり、外に名色がある。この二つの因縁によって触が生じる。この六触入処によって触れられ、無知な凡夫は苦楽の受覚を生じ、それによって様々な因が起こる。六つとは何か。眼触入処、耳・鼻・舌・身・意触入処である。

釈:世尊は比丘たちに説かれた。無明の覆いがあるため、愛執の縁によって六識身が縛られている凡夫は、内に六識身を持ち、外に名色の五陰を有する。内外の六入が和合して触を生じ、六つの触入処で触れると、凡夫は苦楽の受覚を生起する。この受覚があるため、後の愛執などの生死の因縁が引き起こされ、生死が相続する。六触入処とは、眼触入処・耳触入処・鼻触入処・舌触入処・身触入処・意触入処を指す。

衆生の心は無明に覆われている。もし無明を除けば、心は光明を放ち一切の道理が明らかになる。仏の心には覆いがなく、光明は天地を照らし十方法界を遍く照らす。凡夫は愛の因縁によって六識身(眼識身・耳識身・鼻識身・舌識身・身識身・意識身)を有し、これが識身と呼ばれる。愛がなければ識身は存在しない。六識身があれば十一種類の色法と心法に触れ、苦楽捨受が生じる。

衆生は無始以来の貪愛によってこの六識身を有する。六識が内身に属するのは、勝義根の中で生じるためである。名色が外身に属するのは、外入として勝義根の外から入り、六識と触れるためである。これによって受覚が生じ、身口意の行いが絶えず、六識も継続する。六根が六塵に触れなければ六識は滅し、一切の現象も消滅する。ここに十二因縁の連鎖が明らかになり、五陰身の活動が理解できる。身口意の行いが滅しなければ、六識は常に現れ続ける。心が執取を続ける限り、六識は現前して作用し、識心が滅しなければ来世の因が形成される。

——生如法師の開示
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