衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2020年10月24日    土曜日     第2 回の開示 合計2734回の開示

業種と習気の関係

業種と習気の関係は、その理非常に深遠であり、唯識種智の範疇に属する。習気とは長く慣れ親しんだ法が気候を成し、身口意を主宰し、業行を造作して再び種子に収蔵されるものである。これにより業種が深化強化され、今後における習気を一層重くする。

習気もまた業種より来たるものであり、既に久しく習熟すれば必然的に業種を有する。習気は意根によって現行化され、意根が六識の身口意行を主導し、造作の後に業種に収蔵され、後世に現行することを習気と称する。業種は意根が主導して業を形成したものであり、意根は完全に業種と相応する。意根が如何なる様態であるかによって業種もまた其の如く、業種が如何なる様態であるかによって意根は其の如き業行を現行する。無我の業種を残すには如何にすべきか。無我の習気を形成するには如何に修行すべきか。後世において五陰世間を空と見做して生まれ出づるためには、今世如何に修行すべきか。

須菩提が母胎にあって既に世間の空寂を知り得たこの習気の深さは如何ほどか。修行して空を証得するには無量劫を以てしても尚足らず、意根の空なる習気は根本的に意識の薫習と一点の関係も無く、意識が未だ現れざる時、意根即ち空なり。此の如き空は如何に安楽自在なる解脱か。理論上の空は死に臨んで空ならず、死後更に空ならず、後世更に空たるを得ず。故に理論上に何らかの如夢如幻、真如法性に安住するは皆自欺に過ぎず、何事も用を為さず。事に臨めば如何に為すべきか其の儘に為し、臨終如何に死すべきか其の儘に死す。生死の問題を解決すること能わず。理論上の此等の理解は、一事に遇えば即ち原形を現し、原形を顕現する故に用を為さぬと説かれる。意根が証得し業種を形成すれば、生生世世に受用を得、事に遇っても原形に戻らず、受生時も迷わず。若し住胎時も迷わず、出胎時も迷わず、成長過程も迷わざるならば、即ち恒時に解脱する。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

第八識の真如性

次の記事 次の記事

雑阿含経(二九一)第五

ページのトップへ戻る