衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年10月19日    月曜日     第2 回の開示 合計2719回の開示

六根・六塵・六識

十八界は六根・六塵・六識を含む。六根は眼・耳・鼻・舌・身・意の六根を指し、前五根は地水火風の四大種子によって構成される。浮塵根は身体表面に存在し、衆生の肉眼で見たり触れたりすることが可能で、壊滅と変異を免れず、肉眼で観察可能な生滅現象を有する。五根の勝義根は後頭部に位置し、手術によって確認可能な色法であり、同様に破壊と変化にさらされ、生滅無常の苦法である。五根が損壊する時、色身の機能は阻害され廃棄され、植物状態に至るか、あるいは死に至る。

意根は地水火風の四大種子によって構成されず、識種子によって形成されるため色法ではなく心法に属し、識心の機能作用を有する。色法は因縁所生の法であり、自主性がなく受動的に如来蔵と意根の和合によって生起し顕現する。意根の推進作用なくして存在し得ず、意根が推進しなければ色法は即時に消滅する。しかし意根は後天的に生じたものではなく、無始劫以前より如来蔵と共存し、如来蔵より識種子の供給を受けて不断に存在する。他の因縁を必要とせず、因縁所生の法ではない。意根が何らかの縁を攀じる限り滅びることなく存在し続け、五蘊世間もまたこれに従って生滅を繰り返す。五蘊五根は絶えず生滅するが、意根は決して滅びず、阿羅漢や辟支仏が涅槃に入る場合を除き、何人も意根を消滅させることはできない。

色法を持たない識心意根と色法を有する五根の機能は極めて異なる。五根は識別機能を持たず、心所法がなく、染汚性も清浊性もない。意根の影響を受け、五塵を受容する機能は意根の指揮下にあるが、五塵や五識を指揮することはできず、ましてや意根を指揮することはできない。ただし意根の受容と決断作用に影響を与えることは可能である。

意根という心法の機能作用は非常に強大で、五蘊身に対して主宰的役割と選択作用を有し、一切世間法の生起・変異・滅尽を主導する。識心の心所法作用を具え、染汚性と清浊性を併せ持ち、識別・了別・判断・主宰の性質を有する。利を求め害を避ける性質、我執と無我性、愚痴と智慧、習気習慣と煩悩、遍計所執性を備え、衆生の生死輪廻を決定し、涅槃への趣向を定め、仏道を成就させる。天上天下は意根によって主宰される。色法である五根にはこのような特性がなく、心法である意根のみがこれらの特性を有する。故に意根は心法であって色法ではなく、無色根である。

「根」には識心を出生する意味があるが、この所謂「出生」は直接的な生成ではなく、六識出生を導く縁である。六識を直接出生させるのは如来蔵であり、如来蔵は業縁と六根を仮借して六識を出生させる。ただし意根が一切法に対して無心であれば、如来蔵は六識を出生させることができない。従って五根の生縁は極めて受動的であるが、意根の生縁は非常に積極的で能動的であり、六識と一切法を出生させる動力が極めて強大で、五根の出生の可否をも決定する。このような自主的な強大な動力は、無色の心法のみが有し得るものであり、有色の五根は有し得ない。故に意根は心法であって色法ではなく、無色根であって有色根ではない。

——生如法師の開示
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