衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2020年10月19日    月曜日     第3 回の開示 合計2720回の開示

ブラックボックスとは舞台である

一切の変転する境界において、実は私たちの心は微動だにしておらず、どこにも去っておらず、永遠にブラックボックスの中にあって、種々の境界の往来と不可測な変転を観察しながら、際限のない対応を続けております。恰もアニメーションや映画の画面のように、そこに景色や人物の動静があるわけではなく、無数の画像が高速に投影されているに過ぎません。同様にブラックボックス内の心識と境界も動静なく、ただ種々の画像が速やかに閃現しているだけなのです。その監督は意根、製作者は如来蔵、六識は俳優と観客でございます。従いまして私たちが観ているものは全てアニメーションであり、戯曲に他ならず、真実など存在しません。観るという五蘊の行為もまた監督によって演出されたもので、監督が六識を如何様にでも操り、しかる後その監督さえも自らの意志に従えず、せいぜいが舞台監督程度の存在で、劇が終わり曲が尽きれば自らも舞台を退くのでございます。

——生如法師の開示
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五蘊を打ち破ってこそ、法身は生きることを許される

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