一切の変転する境界において、実は私たちの心は微動だにしておらず、どこにも去っておらず、永遠にブラックボックスの中にあって、種々の境界の往来と不可測な変転を観察しながら、際限のない対応を続けております。恰もアニメーションや映画の画面のように、そこに景色や人物の動静があるわけではなく、無数の画像が高速に投影されているに過ぎません。同様にブラックボックス内の心識と境界も動静なく、ただ種々の画像が速やかに閃現しているだけなのです。その監督は意根、製作者は如来蔵、六識は俳優と観客でございます。従いまして私たちが観ているものは全てアニメーションであり、戯曲に他ならず、真実など存在しません。観るという五蘊の行為もまた監督によって演出されたもので、監督が六識を如何様にでも操り、しかる後その監督さえも自らの意志に従えず、せいぜいが舞台監督程度の存在で、劇が終わり曲が尽きれば自らも舞台を退くのでございます。
3
+1