衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年10月19日    月曜日     第1 回の開示 合計2718回の開示

菩薩の階位の次第

現在、仏教を学ぶ人々は自己認識において二種類に分かれます。第一類は広く学び知識が豊富で、修行に対する自信に満ちていますが、若干の慢心や高慢があり、人に会う度に自分が菩薩であるだけでなく普通ではない菩薩だと表明し、修行仲間同士の挨拶も「某菩薩」で始まり、互いに称賛し合い、内心で満足しています。第二類は学識や見聞が不足し、菩薩の意義を理解せず、心に劣等感を抱き、菩薩名を称えることを恐れ、自分を菩薩と称する者を聞けば罪深いと考える人々です。これら両者とも過ちを犯しており、心性においては慢の一種、すなわち高慢と卑慢に属し、共に愚痴に分類されます。

第二類の人々に向け、菩薩とは何かを説明しましょう。例えば「学生」という名称は、学び続ける者を指し、学習内容は多岐にわたり、年齢制限もなく、80歳でも学習中なら学生と呼ばれます。さらに学生証を持つ者は明確に学生と認められます。同様に、菩薩道を歩み菩薩行を修める者を菩薩と呼びます。菩薩心を発して自らを救い衆生を救済しようと誓う者、仏法と菩薩法を学ぶ者、三宝(仏・法・僧)を信じる者、三宝に帰依する者、菩薩の六波羅蜜を修行する者、特に菩薩戒を受け菩薩の証明を持つ者、菩薩の誓願を立て十方諸仏菩薩の証明を受け菩薩戒体を得た者は、より明確に菩薩と呼ばれます。菩薩には鬼神・畜生・非人・天人など全ての衆生が含まれますが、定性声聞(固定的な小乗の修行者)や大乗に回心しない阿羅漢・辟支仏は含まれません。彼らは成仏や菩薩になる心がなく、衆生を利楽する心もなく、ただ涅槃の清浄を求めるからです。

菩薩には凡夫菩薩と聖賢菩薩があり、その階位は次の通りです:

一、信位の菩薩:初信位から十信位までの十段階は凡夫菩薩であり、まだ菩薩六波羅蜜を修行する心が発起しておらず、その資格も能力もなく、仏法への信心を養っている段階です。

二、住位の菩薩:初住位から第六住位まで。大菩提心を発し仏道を志し、菩薩六波羅蜜を修行します。初住位では布施波羅蜜を修行し完成させると二住位へ進みます。二住位では持戒波羅蜜を修行し完成させ三住位へ。三住位では忍辱波羅蜜を修め四住位へ。四住位では精進波羅蜜を修め五住位へ。五住位では禅定を修め六住位へ。六住位では般若波羅蜜を修め悟りを開き、七住位へ至ります。七住位は不退転の菩薩位であり、実義菩薩と呼ばれる真の名実相伴う菩薩で、名称だけでなく菩薩としての実質を備えます。

三、行位の菩薩:住位十段階を修め終えると行位に入り、十の修行段階を経て回向位へ進みます。

四、回向位の菩薩:十段階を修め初地へ至ります。

五、地位の菩薩:初地菩薩は唯識相において見道し、識を転じて智とし、唯識種智を得て如来の家に入り仏の真の子となります。十地菩薩位まで修行を重ね等覚菩薩となり、弥勒菩薩のように後補仏、つまり妙覚菩薩となります。

菩薩の階位は信位の凡夫菩薩から、賢位の住位・行位・回向位菩薩を経て、聖位の十地・等覚・妙覚菩薩まで、総計五十二の段階に分かれます。

各自が自らを省みるべきです:自分は菩薩か、どの段階の菩薩か、何を修めるべきか、現在何を修めているか、菩薩としての心を発しているか、菩薩戒体を持っているか、今後如何に修行すべきか。もし自分が信位の凡夫菩薩ですらないと感じるなら、ここにいるのは時間の浪費です。初住位菩薩の心すら発せず、六波羅蜜や布施行を修める意志がないなら、菩薩の悟りを求める資格は全くなく、これもまた時間の浪費です。

——生如法師の開示
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