衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年10月08日    木曜日     第2 回の開示 合計2686回の開示

意根と意識はなぜ互いに心の意を伝え合うことができるのか

例えば、意根が食事を欲すると、如来蔵は意根の意に従い、意識を生じさせます。すると意根は意識に伝達し、目の前の様々な料理を了別させます。これらの料理の中から自らが好むものを選択する際、意識は意根の心思を領会し、了別した後、意根もまた意識の心思を領会します。両者は刹那的に相互に意思を通じ合わせるのです。しかし、意根が前世の法を了別して意識に伝えても、意識はそれを領会できず、あるいは僅かしか理解できないのは何故でしょうか。前世を経験しておらず、記憶が存在しないため、了別できないからです。

意根は各種の料理を了別してどの料理を選ぶかを決定し、意識が生じると意根に代わって了別を行います。意識が各料理の特徴を了別判断した後、意根に伝達すると、意根はそれを承知して食事を決定します。あるいは、意識が眼識と共に観察するだけでは完全に了別できない場合、意根は試食を決断し、舌識と鼻識を共に参与させて了別判断を行います。意根が承知した後、どの料理が美味しく好みに合うかを知り、それを積極的に摂取し、好ましくないものには手を触れません。

これらの料理については意識と五識が共に現前に触れることができるため、受想思が生じ、判断を行うことが可能です。前世の法については、神通がなければ五識では全く触れることができず、意識も他心通がなく経験も不足し、智慧が足りないため、意根の心中に思惟する所を了知できません。もし意識が大智慧を備えていれば、意根の心中に思惟され暗示される法を明瞭に了別できるのです。

意識と意根が何故相互に心意を伝達できるのでしょうか。意根が法塵に触れて意識を生じ、この三者が和合触するためです。法塵については意根だけでなく意識も了別できますが、その程度が如何様か、明晰さに差があります。この過程において、意識と意根は常に相互に触れ合い、心と心が触れ合うため、当然相互に心意を了知し得るのです。ただし了知の程度には深さと範囲の差異があります。意識が存在する限り、必ず意根と触れ合っているため、各自の心意は時を移さず伝達・交流されます。交流が円滑でないと心理的齟齬が生じ、交流が円滑であれば心情は愉快となります。これは二人の人間の交流関係に幾分似ているところがあります。

——生如法師の開示
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